生まれたときから30年ずっと一緒

私には生まれたときから一緒にいるピンクの服を着たミニーマウスがいます。
幼少の頃は愛着がなかったのですが小学生頃になって、ミニーマウスのことを妹のように思うようになりました。私は一人っ子で兄弟はいません。
ミニーマウスのことをミニー、ミー、ミーちゃん、ミーたんと呼んでいます。

嬉しいとき、悲しいとき、怒っているとき、楽しいときも常に一緒にいて寄り添ってくれます。
まるで妹。
思春期には親と喧嘩したりしてミニーに当たり鼻や耳が取れたこともありました。
私は落ち着いたら怪我をしたミニーの手当をしました。
大人になった今はミニーに当たることは絶対にありません。
辛いときはミニーに甘えます。
辛いよって。
そういうときは寄り添ってくれます。
楽しいときは一緒に手遊びで遊びます。
寝るときは赤ちゃんのように甘えます。
朝起きてから寝るまで外出するとき以外は一緒です。

そんな愛おしい存在をこれからもずっと一生大切にしたいです。

それぞれのたからもの

今日は僕がまだ生まれていなくて、ママがまだ子どもの頃おはなしをします。

ママと一緒に眠っていたのは赤ちゃん用の枕のクマさんでした。
寝付きの悪いママはクマさんに付いているタグを触り抱っこをしながら眠るのが何よりも安心していました。
それは小学生になっても続きました。
ボロボロになってしまったクマさんは2,3年で交代させられました。
学校から帰宅するとクマさんが突然新しくなっているのです。
ママはそれがとても悲しくて悲しくて、これからはせめてお庭にお墓を作りたいとお願いしました。

お友達が家に遊びに来ることがあります。
その時はそっとタンスに隠すのです。
赤ちゃんの物を持っている自分が恥ずかしかったようです。
その夜は何度もぎゅうっとしてごめんねと言いながら眠っていました。

中学生になっても高校生になってもクマさんと寝ていました。
お友達が来ると慌てて隠すことは続きました。
ママのお母さんがお友達にクマさんと眠っていることを笑いながら教えてしまうことが何度もありました。
ママは必死でわーと声を出して妨害します。
大好きなクマさんを内緒にしなければならないことをいつも悲しく思っていました。

しかし、ひとつ年齢を重ねるごとにクマさんと離れる決心をします。
もう赤ちゃんじゃないからと。
子どもじゃないからと。
でも何日経っても慣れることなく、眠れない日々が続くのです。
そしてやっぱりダメだとしまっておいたクマさんをごめんねと言った後に抱っこして安心して眠ります。

いつしか大人になったママは新しい家で暮らし始めクマさんと眠ることをやめました。
ママは今もやめた理由も眠れたことも思い出せないそうです。

そしてママとパパが一緒に暮らし始めた頃にママの寝付きが悪くなりました。
パパにクマさんの話をしたら、すぐに買いに行こうと言ってくれました。
赤ちゃん用が少し恥ずかったママは躊躇います。
ぐっすり眠って欲しいパパは考えます。
クマさん=プーさんと思いついたパパはディズニーストアにママを連れて行きました。

そこにはママが抱っこをしたら上半身が隠れるくらいの大きなプーさんがいました。
横になっている体勢で目を閉じて優しい笑みを浮かべいます。
ママはプーさんを抱っこしてみました。
その瞬間にアクビが出たのです。
パパはこれは運命の出会いだとガッツポーズです。
それこそが僕のお兄ちゃんのプーさんです。

何とママはその夜からぐっすり眠ることができるようになりました。
今でも大事そうに抱えてぐっすり寝ているママの写真があります。

子どもの頃恥ずかしかった思いも悲しい思いも今は遠い過去です。
今では僕を横に置いて寝ています。
(もちろんプーさんもいます)
大人になって誰に気兼ねすることなくぬいぐるみが大好きで、抱っこして安心して眠ることが嬉しいそうです。

僕は思います。
みんなの気持ちや思いはそれぞれ違って良いことを。
好きなものや苦手なものがそれぞれ違って良いことを。
誰かの好きなものや大切にしているものを笑うことなく、素敵だねとストンと受け取れる世界がありますように

僕は願っています。

5歳年下の、頼もしい友だちのこと。

ずっと一緒に苦難を共にしてきた、5歳年下の友だち「おもちー」のことを書きたいと思います。

おもちーが誕生したのは、私が5歳の頃。
当時の私は、かこさとし氏の絵本『からすのパンやさん』が大好きで、とくにその絵本の中に登場する白い烏「おもちちゃん」が大好きでした。

クリーニング屋を営む祖父母のところに、絵本を持って遊びに行った際、私は祖父に「おもちちゃんのぬいぐるみがほしい」のだとリクエストをしました。

絵本のおもちちゃんを見て、カッターシャツなどに使う白い当て布を材料に祖父が作ってくれたのが、おもちーです。

当時の私はおもちーをとても気に入ったのですが、5歳児故に扱いが乱暴だったこと、祖父がそこまで丈夫に縫っていなかったこともあり、おもちーはすぐにボロボロに。
それを祖母が丁寧に繕ってくれたことも、とても良い思い出です。
祖父母が縫い、私がマジックペンで目を入れたのが、今日まで私の傍にいるおもちーの誕生の瞬間でした。

しかし少し成長してからよくよく見てみると、おもちーはおもちちゃんに多少似てはいるものの、おもちちゃんとは異なる存在だということに、ある日気がつきました。
それもそのはず、祖父は絵本の絵を元に頑張っておもちーを作ってくれましたが、絵本の絵ではおもちちゃんの全身が詳しくわからなかった上(後ろ姿などが謎なのです)、型紙もなければ、当て布以外の材料もなかったのです。

「『からすのパンやさん』のおもちちゃんではないかもしれないが、この子は私の大切な友だちであることに変わりはない。

それなら何か、新しい呼び名を用意しよう」ということで、この祖父作のおもちちゃんは、おもちーと呼ばれることになりました。

それからは、友だちと遊んだり、学校に行ったり、家族旅行に行ったり、大学の課題で徹夜をしたり、就職活動の履歴書を書いたり、面接に行ったり、仕事に行ったり……お留守番の日もありましたが、実に多くの日々を、おもちーと共に過ごしました。
国内旅行は勿論、フランスにも、ニュージーランドにも、グアムにも、ベトナムにも。
遠出の際は必ず一緒でした。
大好きなアーティストのライブだって一緒に行きますし、ラーメン屋さんにだって一緒に行って、数日にんにく臭くなったこともあります。

特に高校、大学時代の友人知人には、私という存在と共におもちーの存在が割としっかり認識されており、高校の部活で貰った寄せ書きの色紙には、いろんな後輩が描いてくれたおもちーがたくさんいましたし、大学の後輩から届いた展示会の案内葉書にも、1匹のおもちーの絵が添えられていました。
おもちーは学校に入学した私と共に日々登校し、授業を鞄の中で聞き、そして卒業したのです。

就職活動がうまくいかず、毎日泣いていたころ、1番傍にいてくれたおもちーは、よく涙で湿ってしまい、なかなか乾かずにいてちょっと可哀想でした。
私の気が済むまで1番傍に一緒にいてくれる、とても心強い友だちです。

そんなおもちーには、1つ大きな弱点があります。
体を綺麗にするために一緒にお風呂に入ると、丸1日以上ベランダで干しっぱなしにしなければ、体が乾かないのです。
おもちーは全身が当て布で、中に詰まっているのも、綿ではなく当て布です。
ほかの一般的なぬいぐるみさん方と比べて、重たく乾きにくいおもちーは、一度体を洗うと、どうしても長い間ベランダで干されてしまいます。

SNSにその姿を投稿すると、友だちから「干しおもちー(笑)」と笑われたり、「こんがり焼いて美味しくいただきます(違う)」と冗談めいたコメントが来たり。
なんだかちょっと哀れです。

ただ、祖父が限られた材料で頑張って作ってくれたこと、重ための体が役に立った事例もあり(大学の授業で大きな和紙貼りのオブジェを作る作業をした際、脚立の上に置いた和紙が風で飛ばないよう、押さえる仕事をしてくれたのはおもちーでした。

もしも落ちて誰かに当たっても危険がなく、しかもちゃんと和紙を押さえられるだけの重さを備えた、非常に優秀な重し係でした)、中身を軽い綿に詰め替えることはしませんでした。

こうしてずっと一緒に過ごしてきたおもちーですが、皮膚が当て布で柔らかいためボロボロになってしまい、ぬいぐるみ病院さんでいうところの皮膚移植を(私はぬいぐるみさん方を治療する医師免許を持っていないため、これはヤブの闇治療では……と思わなくもないですが)行ったこともあります。

今年で齢22をむかえるおもちーと、これからもずっと一緒に過ごしていきたいと思っています。

香港にお里帰りさせてあげるのがわたしの密かな夢です。

うちのパンダのリンリンは1歳時に父が出張先の香港からやってきました。

はじめてのお誕生日プレゼントです。

しかし当時の私には大きすぎて怖がって近づかなかったそうです。

しばらくして弟が生まれて添い寝してもらえずひとりで寝ないといけなくなったときに何故か抱っこして寝るようになったらしいです。
なのでリンリンの背中はわたしの手の形に毛が抜けています。
抱っこしすぎて痩せてしまったので祖母がお腹を開けて一度糸くずを詰めてパンダらしいシルエットに戻してくれたり、塗装の剥がれて白くなった目を祖父が塗り直してくれたこともあります。

汚れてしまって自分で何度か洗ったこともあります。

ほんとに長い間ずっと一緒だったのですが大人になって一人暮らしを始めた時には実家に置いてきてしまいました。

しかし何かでぬいぐるみ病院があると知り、リンリンに対して申し訳ない気持ちと綺麗にしてあげたくていまは私のおうちで一緒に住んでます。

入院する順番を2人で心待ちにしています。

いつか綺麗でふわふわのリンリン戻ってホームパーティーにこっそり参加させてあげたりコロナが収束したら香港にお里帰りさせてあげるのがわたしの密かな夢です。

お写真は去年34歳になった時のリンリンと私の35歳のお誕生日に父がくれたお花です。

甘えん坊でヤンチャで泣き虫で寂しがりで食いしん坊な子

幼い頃、祖母が亡くなる前の最後のプレゼントの水色のクマちゃんの生まれ変わりです。

最初は凄く可愛がっていたのですが、幼い頃の感情でしょうか?
可愛い過ぎて気持ちが逆になり、次第に虐めて虐めて虐めたくっていました。

あちこち噛み付いたら、お仕置きだと言って狭い引き出しの中に閉じ込めたり、ありとあらゆる酷い目に合わせていました。
そんな事が数年続き、私がキャンプに行っている間、母が見兼ねて捨ててしまい、帰っていざ居なくなると大泣きしました。

そして数十年経って、ふとその子の事を思い出しとても悲しくて仕方ありませんでした。

そして何気なくキディーランドを歩いていると、クマっぺに出会い、
目が合った瞬間、そのクマちゃんがボクだよって言っている様な気がして思わず連れて帰りました。

改めてクマっぺと名前を付け、あの頃酷い目に合わせた償いとして、家族として大切に可愛がっています。

現在は、甘えん坊でヤンチャで泣き虫で寂しがりで食いしん坊な子です。

ラーメンは麺しか食べず、
シュークリームは中のクリームしか食べず、
きのこの山はチョコの部分しか食べず、
お風呂は遊ぶ所だと思いソープで泡だらけにして遊んだり、
お掃除のお手伝いはバケツの水をまいて床をベトベトに濡らすだけで大変です。

冒険ゴッコと言って扇風機に登って飛行機ゴッコしたり、

高い所に登って下りれなくて泣いたり、

ぬいぐるみ病院さんに入院中は夜の冒険をして他のお友達を引き連れて
ナースステーションのオヤツをつまみ食いしていたヤンチャな子です(笑)

そんな子ですが入国してご迷惑をお掛けしないようにちゃんと言って聞かせておきますのでよろしくお願い致します。

キラッキラとした目で私を元気付けてくれる大切な弟

21年前、夢の国のワゴンで目が合いそこからプーと姉弟になりました。

幼い頃、体が弱かった私は幼稚園や小学校を休みがちに。
働きに出ている両親が帰って来るまでの間は、プーが心の支えでした。

反抗期に入った私のイライラはプーにぶつけてしまう日も。
壁に投げつけてしまった事は今でも後悔しています。

大学から親元を離れて一人暮らし。
そこにもプーは付いてきてくれました。
たまの帰省でプーを実家に連れて帰ると、母親はとても喜んでくれます!
そしてプーもママに会えて幸せそうです。

くたくたのへにょへにょになってしまったプーは現在21歳。
まだ私の隣に居てくれています。

穴が空いては縫って、、を繰り返しているプーの体は縫い目がたくさん。
麻酔もせずにいつも我慢してくれて、ほんとに強い子です!

話は出来ないし、動かない。

でも、いつも顔を見るとキラッキラとした目で私を元気付けてくれる大切な弟です。

いつもありがとう。大好きだよ。

あの日、私を選んでくれてありがとう。

ワンコの長い長い電車の旅

26才の僕の1才のクリスマスプレゼントがワンコだった。

何処に行くのも一緒だった。

3才頃姫路から姫新線に乗った時車内に置き忘れてしまい
目覚めたとき何処にもワンコが居なかった。

僕は大泣あわてて母ちゃんが「大丈夫大丈夫戻ってくるから!」
母ちゃんはまず降りた駅に電話したけど無かった。

岡山行きだったから岡山駅に問い合わせたけど無かった。

姫路駅忘れ物センターに電話したけどやっぱり無かった。

ワンコが僕のとこに来て2年片時も離さなかったからワンコはボロボロで薄汚れてた。

僕は泣いた、心細くて辛くて寂しくてずっと泣いた。

夜10時位だったかな、家の電話が鳴って母ちゃんが
「えっ!あったんですか!?本当に間違いないですか!?」
電話は姫路駅からだった。

僕が座ってた席の次に座った人が岡山駅についたとき駅員さんに届けてくれた。
駅員さんは「こんな汚いぬいぐるみ捨ててあったんじゃないですかね」て呟いた。

その人は「汚れてボロボロになるくらい大切な物なんじゃないですか?きっと探されてると思いますよ」

その言葉に駅員さんは「ああなるほど!じゃあ折り返しの姫路行きに言付けますわ」とまた電車に乗せてくれた。

姫路駅では伝えてた特徴どんぴしゃり!

すぐに電話が来て僕はすぐに迎えにいくとごねた。
母ちゃんはなんとか今夜受け取れないかと一生懸命お願いしてくれた。
対応した人も「大切なものでしょうから特別にいいですよ。窓口は閉まってますから駅員に声をかけてください」
すぐに迎えにいった!
通用口のところで駅員さんが「はい、もう離しちゃだめだよ」て手渡されたワンコはタオルにくるまれてビニールに入ってた。
母ちゃんと泣きながらお礼いった。

僕はものすごく嬉しかった!

母ちゃんが「ワンコこんなに小さいのに遠い旅してきたね」
ワンコの長い長い電車の旅は25年の間にこれ一回きり。
そして今も僕のそばにワンコが居る。