それぞれのたからもの

今日は僕がまだ生まれていなくて、ママがまだ子どもの頃おはなしをします。

ママと一緒に眠っていたのは赤ちゃん用の枕のクマさんでした。
寝付きの悪いママはクマさんに付いているタグを触り抱っこをしながら眠るのが何よりも安心していました。
それは小学生になっても続きました。
ボロボロになってしまったクマさんは2,3年で交代させられました。
学校から帰宅するとクマさんが突然新しくなっているのです。
ママはそれがとても悲しくて悲しくて、これからはせめてお庭にお墓を作りたいとお願いしました。

お友達が家に遊びに来ることがあります。
その時はそっとタンスに隠すのです。
赤ちゃんの物を持っている自分が恥ずかしかったようです。
その夜は何度もぎゅうっとしてごめんねと言いながら眠っていました。

中学生になっても高校生になってもクマさんと寝ていました。
お友達が来ると慌てて隠すことは続きました。
ママのお母さんがお友達にクマさんと眠っていることを笑いながら教えてしまうことが何度もありました。
ママは必死でわーと声を出して妨害します。
大好きなクマさんを内緒にしなければならないことをいつも悲しく思っていました。

しかし、ひとつ年齢を重ねるごとにクマさんと離れる決心をします。
もう赤ちゃんじゃないからと。
子どもじゃないからと。
でも何日経っても慣れることなく、眠れない日々が続くのです。
そしてやっぱりダメだとしまっておいたクマさんをごめんねと言った後に抱っこして安心して眠ります。

いつしか大人になったママは新しい家で暮らし始めクマさんと眠ることをやめました。
ママは今もやめた理由も眠れたことも思い出せないそうです。

そしてママとパパが一緒に暮らし始めた頃にママの寝付きが悪くなりました。
パパにクマさんの話をしたら、すぐに買いに行こうと言ってくれました。
赤ちゃん用が少し恥ずかったママは躊躇います。
ぐっすり眠って欲しいパパは考えます。
クマさん=プーさんと思いついたパパはディズニーストアにママを連れて行きました。

そこにはママが抱っこをしたら上半身が隠れるくらいの大きなプーさんがいました。
横になっている体勢で目を閉じて優しい笑みを浮かべいます。
ママはプーさんを抱っこしてみました。
その瞬間にアクビが出たのです。
パパはこれは運命の出会いだとガッツポーズです。
それこそが僕のお兄ちゃんのプーさんです。

何とママはその夜からぐっすり眠ることができるようになりました。
今でも大事そうに抱えてぐっすり寝ているママの写真があります。

子どもの頃恥ずかしかった思いも悲しい思いも今は遠い過去です。
今では僕を横に置いて寝ています。
(もちろんプーさんもいます)
大人になって誰に気兼ねすることなくぬいぐるみが大好きで、抱っこして安心して眠ることが嬉しいそうです。

僕は思います。
みんなの気持ちや思いはそれぞれ違って良いことを。
好きなものや苦手なものがそれぞれ違って良いことを。
誰かの好きなものや大切にしているものを笑うことなく、素敵だねとストンと受け取れる世界がありますように

僕は願っています。

私の精神安定剤

今年で10歳になるぬいぐるみといつも一緒にいます。
私は、つらいことや悩みを家族や友達にも話すことができません。
辛くて泣きたいときも家族や友達の前で泣くこともできません。
辛くて自傷行為をしてしまうこともあります。

私のつらいことや悩んでいること、誰にも言えない秘密を知っているのはその子だけです。
辛いときに抱きしめて泣いています。

私がつらいときや泣きたいときにそばにいてくれるのはその子しかいません。
においも落ち着くし、イライラしているときや辛くて過呼吸になってしまう時にも抱きしめると落ち着きます。

不安な時もいるだけで和らぎます。かわいい服も着せています。
大好きなので課題ではぬいぐるみをテーマに記事を書いたり、コンペでも提案しています。

泣き虫で誰にも好かれない、なぜか嫌われてしまう私の唯一味方をしてくれる大事な子です。
大切な家族であり、友達です。

いなくなってしまうことを想像するだけで泣いてしまうくらいとても大切な存在です。

5歳年下の、頼もしい友だちのこと。

ずっと一緒に苦難を共にしてきた、5歳年下の友だち「おもちー」のことを書きたいと思います。

おもちーが誕生したのは、私が5歳の頃。
当時の私は、かこさとし氏の絵本『からすのパンやさん』が大好きで、とくにその絵本の中に登場する白い烏「おもちちゃん」が大好きでした。

クリーニング屋を営む祖父母のところに、絵本を持って遊びに行った際、私は祖父に「おもちちゃんのぬいぐるみがほしい」のだとリクエストをしました。

絵本のおもちちゃんを見て、カッターシャツなどに使う白い当て布を材料に祖父が作ってくれたのが、おもちーです。

当時の私はおもちーをとても気に入ったのですが、5歳児故に扱いが乱暴だったこと、祖父がそこまで丈夫に縫っていなかったこともあり、おもちーはすぐにボロボロに。
それを祖母が丁寧に繕ってくれたことも、とても良い思い出です。
祖父母が縫い、私がマジックペンで目を入れたのが、今日まで私の傍にいるおもちーの誕生の瞬間でした。

しかし少し成長してからよくよく見てみると、おもちーはおもちちゃんに多少似てはいるものの、おもちちゃんとは異なる存在だということに、ある日気がつきました。
それもそのはず、祖父は絵本の絵を元に頑張っておもちーを作ってくれましたが、絵本の絵ではおもちちゃんの全身が詳しくわからなかった上(後ろ姿などが謎なのです)、型紙もなければ、当て布以外の材料もなかったのです。

「『からすのパンやさん』のおもちちゃんではないかもしれないが、この子は私の大切な友だちであることに変わりはない。

それなら何か、新しい呼び名を用意しよう」ということで、この祖父作のおもちちゃんは、おもちーと呼ばれることになりました。

それからは、友だちと遊んだり、学校に行ったり、家族旅行に行ったり、大学の課題で徹夜をしたり、就職活動の履歴書を書いたり、面接に行ったり、仕事に行ったり……お留守番の日もありましたが、実に多くの日々を、おもちーと共に過ごしました。
国内旅行は勿論、フランスにも、ニュージーランドにも、グアムにも、ベトナムにも。
遠出の際は必ず一緒でした。
大好きなアーティストのライブだって一緒に行きますし、ラーメン屋さんにだって一緒に行って、数日にんにく臭くなったこともあります。

特に高校、大学時代の友人知人には、私という存在と共におもちーの存在が割としっかり認識されており、高校の部活で貰った寄せ書きの色紙には、いろんな後輩が描いてくれたおもちーがたくさんいましたし、大学の後輩から届いた展示会の案内葉書にも、1匹のおもちーの絵が添えられていました。
おもちーは学校に入学した私と共に日々登校し、授業を鞄の中で聞き、そして卒業したのです。

就職活動がうまくいかず、毎日泣いていたころ、1番傍にいてくれたおもちーは、よく涙で湿ってしまい、なかなか乾かずにいてちょっと可哀想でした。
私の気が済むまで1番傍に一緒にいてくれる、とても心強い友だちです。

そんなおもちーには、1つ大きな弱点があります。
体を綺麗にするために一緒にお風呂に入ると、丸1日以上ベランダで干しっぱなしにしなければ、体が乾かないのです。
おもちーは全身が当て布で、中に詰まっているのも、綿ではなく当て布です。
ほかの一般的なぬいぐるみさん方と比べて、重たく乾きにくいおもちーは、一度体を洗うと、どうしても長い間ベランダで干されてしまいます。

SNSにその姿を投稿すると、友だちから「干しおもちー(笑)」と笑われたり、「こんがり焼いて美味しくいただきます(違う)」と冗談めいたコメントが来たり。
なんだかちょっと哀れです。

ただ、祖父が限られた材料で頑張って作ってくれたこと、重ための体が役に立った事例もあり(大学の授業で大きな和紙貼りのオブジェを作る作業をした際、脚立の上に置いた和紙が風で飛ばないよう、押さえる仕事をしてくれたのはおもちーでした。

もしも落ちて誰かに当たっても危険がなく、しかもちゃんと和紙を押さえられるだけの重さを備えた、非常に優秀な重し係でした)、中身を軽い綿に詰め替えることはしませんでした。

こうしてずっと一緒に過ごしてきたおもちーですが、皮膚が当て布で柔らかいためボロボロになってしまい、ぬいぐるみ病院さんでいうところの皮膚移植を(私はぬいぐるみさん方を治療する医師免許を持っていないため、これはヤブの闇治療では……と思わなくもないですが)行ったこともあります。

今年で齢22をむかえるおもちーと、これからもずっと一緒に過ごしていきたいと思っています。

ライオンちゃんがいない!

黄色いライオンちゃんの保護者さんが小さい時、いつもいつも手から離さない時期がありました。
もちろん寝る時も出かける時も一緒。
お風呂の時だけは、ドアの外でちょこんと待ってる…なくさないようハラハラでした。

しかし、ある日恐れていたことが起きました!

いつものように一緒におでかけしたあと、帰宅してからライオンちゃんがいないことに気づき、ちっちゃい保護者さんは大泣きです。

数時間後 、夜でしたが、一本の電話がありました。
「黄色いライオンさん、お宅様のでしょうか。うちで預かっています。いなくなってご心配をされているかなと思いお電話しました」

夕方に立ち寄った本屋の店員さんからでした。
絵本のところにちょこんといたようです。
「ありがとうございます!明日必ず迎えに行きますから、預かっておいてください。お願いします」

実は、そのライオンちゃんは立っている子だったので、とりあえず底に家族が電話番号を書いておきました。
本屋の店員さんが、その番号をみてかけてきてくれたのでした。
万が一どこかに置いてきてしまった場合、気づいた方が電話をかけてくれたらいいな、と、ためしに書いておいたのが役に立ちました。

小さな持ち主さんの手に、翌日にはほっとした顔のライオンちゃんが無事にいました。
見知らぬ人に対して感謝の気持ちでいっぱいになった、忘れられない出来事でした。

いつもありがとう

チョボンとの出逢いはピアノ教室の帰り道、小さな可愛いお店でチョボンは笑っていました。

フワフワの毛並みに立派な大きな耳そしてクルクルの目に美味しそうな栗鼻、手足は長くまるで
”うさぎの王子さま”
のようでした。

嫌々通うピアノ教室に見るに見かねた母親がチョボンを買ってくれました。

そして我が家に”うさぎの王子さま”が仲間入りしました。

家の中には他にたくさんのぬいぐるみたちがいましたが、いつしかチョボンもみんなと仲良く過ごすことが出来ました。

あれから40年と少し経ちましたがあの頃の母親はあれからすぐ亡くなってしまい生活がガラリと変わってしまいました。。。

そんな中いつもそばにいて励ましてくれたチョボンやたくさんのぬいぐるみたち。

きっとチョボンやたくさんのぬいぐるみたちは母親が連れて来た天使たちなんでしょうね。

今ではすっかり大人になったチョボン。

立派だった大きな耳は小さい頃兄との取り合いで両方失ってしまいました。
それ以来何となくおとなしく自分を出せなくなったように感じます。。。

今はぬいぐるみ病院の順番を待っています。

いつか又あの”うさぎの王子さま”に戻り笑顔いっぱいのチョボンに会えますように願っています。
そして愛しかないぬいぐるみの世界へ代表として入国させていただくことになりました。

楽しくのびのびと過ごせることを楽しみにしています。
どうぞよろしくお願い致します。

おかえり天使ちゃん

もう数年前の話にはなりますが忘れられない出来事です。

普段とは違う取材仕事があった日でもあり、緊張や不安が拭えなかったので、
お気に入りの帽子と大好きなフモフモさん
『天使ブランのパスケース』(以下、天使ちゃん)
を身に付けて出かけていました。

慣れないながらもハードスケジュールをこなせたのも、天使ちゃんがそばで見守ってくれていたおかげです。

そんな中、帰宅電車の改札通過時天使ちゃんのリールが突然切れました。
それは私の緊張の糸が切れたようなタイミングで、天使ちゃんも長旅お疲れ様という気持ちで右手にずっと持っていました。
乗り換え改札通過の際ついに悲劇は起きました。

天使ちゃんがいない。さっきまで一緒にいたのに。

駅員にすぐ「天使の羽が生えた白いカエル」という特徴もろもろをを必死に伝えました。
あとは連絡待ちとなり、私は乗り換えた電車内で自分に絶望していました。

というのもこの日は落し物は二度目。朝の時点でお気に入りの帽子も実は失くしていました。
だからこそ二度も大切なものを失くす自分に、
情けなさと苛立ちとあまりもの喪失感に襲われ、立っていられないほどでした。
「疲れていた」なんて言い訳が許せるはずもなく。
天使ちゃんが今どこにいて不安になっていないか…

そろそろ最寄り駅に到着するという時、
「みつかったそうなので●●駅まで取りに来れますか」と駅員から連絡が来ました。
もっと具体的に言って下さっていたのに気が動転していて聞き取る事もやっとでした。
急いで引き返し、預かってくれている駅で無事に天使ちゃんと再会することが出来ました。
本当に本当に嬉しくて、帰りの電車内では涙を堪えて大事に家に連れ帰り、一緒に眠りました。

こうして今も一緒に暮らせているのは、拾って駅まで届けてくれた優しい誰かのおかげです。
その人も私にとっては「天使さん」です。
本当に感謝しています。心からありがとう。

私の大事な家族。くまさん。

まだ、20代の若い頃、卵巣破裂で、子宮全摘と言う手術をしなければならなくなりました。
子供は、一生生めません。結婚したばかりなのに。
心細くて悲しくて、妹に頼んでくまさんを病院に連れてきて貰いました。

子供なんて要らないと、割りきっていたつもりでしたが、
くまさんを見たとき本当に寂しくなりくまさんを抱き締めてずーっと泣いていました。

くまさんをベッドに寝かせて、トイレに行ったとき、病室にもどると、
看護士さんがいて、にこにこしながら、くまさんを抱いていて、
『あかちゃんがねているかとおもいました。』
と言ってくまさんをそっと渡してくれました。

その時、あぁ、そうだね、くまさんが大事な家族だと改めてくまさんを抱き締めながら泣きました。

くまさんは今でも大事な家族です。
いつも一緒に寝ています。
何かあるといつもくまさんにお話しします。
大事な家族です。

私にとってかけがえのない子達

もう十五年以上も前の出来事です。

私がカナダへ行った時ににうちの子達を一緒に連れて行きました。

色々と見てまわり、楽しかった思い出を胸に帰国となり、
待合室で待ってから合図と共に沢山の荷物を抱えて機内に入ったところ、アナウンスがありました。

クマのぬいぐるみをお忘れのお客様・・・・・と。
自分の手荷物を改めて見てみると、うちの子がいないことに気づいて、
慌ててCAさんのところへ行ったところ、間違いなくうちの子達でした!

ほんとにあの時は血の気が引く思いがして、
今この子達と会えているのは待合室の忘れ物を点検してくれた方に本当に感謝したいです。

その時に、この子達は私にとってかけがえのない子達だ!と改めて感じました。

本当になくてはならない存在です。

あの空港でそのまま忘れさられていたかと思うとゾッとします。

それ以来、うちの子達を連れて行く時はリュックに背負って行くようになりました。

じぇらこちゃんありがとう。

うちの可愛い「じぇらこ」との出会いは新婚旅行でした。
夫が珍しく可愛いね欲しいねと言ってそこから家族になりました。

私達夫婦は約5年間不妊治療をしていました。
その5年の月日にじぇらこにはとても助けられ励まされ心の支えとなりました。
辛い治療。精神的にも身体的にもとても辛かったとき。
夫婦喧嘩した時や辛い時、じぇらこを抱き締めて何度泣いたことかわかりませんが、
その度、私達夫婦に笑顔をもたらしてくれました。
治療の際の注射や移植の時もクリニックに通うときはいつも一緒に行っていました。

不妊治療の末、娘を授かり、出産、入院中の時も一緒に居てくれてました。

娘と初対面を果たし、娘はじぇらこが大好きでじぇらこが長女で娘が次女と様な生活となりました。

寝るときもお散歩にいくときもいつも一緒です。

今では二人でままごとをしたり、娘がねんねしようねと寝かしつけ布団を掛けたり本当に仲良しで
不妊治療をしている時、じぇらこと生まれてくる子どもが二人で仲良く遊ぶ姿を見たいなぁ、
そうなったらどんなに幸せなことだろう。と思いながら頑張っていました。

その夢が叶い、いつも一緒の娘とじぇらこ。
本当にじぇらこも娘も私達夫婦のところ来て家族になってくれて嬉しくて
二人が遊んでいる姿を見ると涙が出ることがあります。

ぬいぐるみも家族です。
本当にかけがえのない家族。
娘もぬいぐるみとしてではなく家族だと思ってくれていると思います。

じぇらこちゃんありがとう。

心を支えてくれる大切な家族

小学生の頃に買ってもらたのですが長年ずっと一緒に過ごし、
高校生の時盲腸になり急遽手術、

入院する事になった際に母親に「何か必要なものある?」
と聞かれた時真っ先にこの子を連れてきて欲しいと頼みました。

看護師さんや達にも可愛がってもらい術後の抜糸の時も痛みに耐えながら手を握っていました

母親の葬儀の時に葬儀所で1日泊まる時にも連れていきました

寂しくて悲しくて堪らなくなるとずっと抱き締めていたした

今でもこの子は心を支えてくれる大切な家族です