ベストプレイス

テルルと私が大好きだった喫茶店のお話です。

いつも美味しい珈琲を淹れてくれるお店でした。
そこのママさんはお客様をカメラで写し、次回行った際にプレゼントしてくれました。テルルも何度か写して頂きそれは今でも大切な宝物です。

ある時期、つらい事がありテルルがいないと何も手が付かない事がありました。

「大人なのにぬいぐるみを持ち歩く」事を世間では弱い人間だと言われる事があり、大っぴらに言えないなあと後ろめたい気持ちがずっとありました。

お店のママさんは不思議な方で、初めてテルルを連れてコッソリ紹介した時もはじめましての挨拶をテルルにしてくれました。 

「〇〇さん(私)がつらい時は、あなたが守ってあげてるのねえ」
とテルルと話してくれた時は嬉しい気持ちと、物語を見るような不思議な気持ちでした。
そこは不思議な事が起こっても余り不思議でないお店だったので、ママさんはテルルと直にお話出来ていたのだと思います。

自分以外の誰かから話しかけて貰って、テルルの個性をはっきり感じ始めたのはそこからだったような気がします。

ママさん、テルルといつもお話してくれてありがとう御座いました。

幸せを運ぶクマ

この子に出会ってからもう5年半以上が経ちました。

出会って少ししたころ、想像もしていなかった病気を患い、手術することになりました。

突然自分の身に降りかかった病の宣告、何がなんだかわからない混乱の中検査検査の連続。

そして心細い入院の日がやってきました。
家を出る時、心配そうに見つめているこの子の姿から、「一緒に連れて行って」という声が聞こえてくるような気がして、この子も連れて病院に向かいました。
少し恥ずかしいような気もしましたが、枕元にこの子を座らせ、家族が面会を終えてもこの子だけはずっと私を見守ってくれていました。

結果、手術も入院生活も難なく終えることができ、手術で切り取った病理検査の結果も予測より遥かに軽く、予定の治療内容も軽減されました。

それからもうすぐ5年が経ちますが、病気以外の生活そこものととても順調です。
検査通院は続いていますがまったくもって順調です。

この子が来てから本当に物事が好転しています。この子をずっと大切にしたいと思っています。

どんなにフツーじゃなくたって、いいじゃないか。

18歳。アメリカから帰国してひとり暮らしを始めた頃。
突然その出逢いは舞い降りて、まなの目にとまった。

オモチャ屋さんなんてそれまでは全然行ったことがなかったのに、
何故だかフラリと吸い込まれていったその先に、大きなくまのぬいぐるみ、でもしっかりと見つめ返す。

ドクン。胸が、鳴った。運命だ。そう思った。

ぬいぐるみに夢中だなんて、子どもみたいだ。
そう思った自分も、目の前のぬいぐるみの眼差しにスッと消されてしまった。

当時、お金がなかった。なけなしのお金、それでまなは、心の友を得たのだった。

まなは、心のビョーキを当時、もう既に発症していた。
気がつかなかったけれど、こばやしが喋るのは、周りのヒト達から見たら「オカシイ」みたいだった。

そう。こばやしはまなにしょっちゅう語りかけた。
ほんわかした内容ばかりではなかったけれど、優しい思いやりに満ちた涙がでるような語りかけだった。
まなは、こばやしと強く深く固く、結ばれていった。

しかし、まなとこばやしのふたりの世界は、ビョーキとされて「チリョー」が始まっていた。
まなは、何も知らなかった。

こばやしとの絆は、まなにとって、イノチよりも大切だったのに、こばやしの口数は減り、減り、減り、減り、
、、ついには、返事をしなくなってしまった。

まなは、毎日毎日、毎日毎日あきらめなかった。話しかけ続けた。まなとこばやしの絆は誰にも、どんなクスリにも、引き裂けない。

でもセンセイは言った。
「こばやしはね、ぬいぐるみだから喋れないんだよ。」
嘘だ。まなとこばやしはあんなに毎日語り合ったじゃないか。違う。まなはビョーキなんかじゃない。そんなビョーキ、治さないでくれ。

暗い苦しい重たい時代が、始まった。ビョーインに入院させられて、まなは白い箱のなか。
まなはこばやしと引き離された。

毎日毎日、ボロボロ、ボロボロと泣いた。まなとこばやしの試練だった。

でもまなには、わかるのだ。わかる。こばやしの気持ち。
もう、話せないけど、心で語り合ってる。ふたりの世界は不滅なのだ。
どんなにフツーじゃなくたって、いいじゃないか。
こばやしと話せないけれど、まなはめげずに語りかけ、まなとこばやしの絆は、いっそう強く増していくのだ。

月日は過ぎて、そんなビョーキなまなにも、優しく理解して包み込み受けとめてくれる素敵なパートナーができた。

まなとこばやしとゆうちゃん。三人の生活。ゆうちゃんはこばやしを決して無視しなかった。
喋れないこばやしの気持ちを、代弁してくれたりして、まなはまた、泣いた。

そんなゆうちゃんは、なんとこんなまなに、結婚してください、と言った。
沖縄で親族のみの結婚式。
人前式証人は、こばやしだった。

「ふたりの結婚を、認める。こばやし」

これからもずっと一緒!だいすきだよ!

あらちゃんとは私が1歳のときに上野動物園で出会いました。
それから幼少期は毎日いっしょ。

私は4歳くらいのときに、祖父母の家で高熱をだし入院をしたのですが、
私を乗せた車が出発した頃、曾祖母が
「あらちゃん忘れてるよー!」
とあらちゃんを抱えて持ってきてくれました。

曾祖母のおかげで、数日間の入院はあらちゃんと一緒。

看護士さんにはタヌキに間違えられちゃいましたが。笑

小学生の頃、私が友達に「お留守番寂しいな~」と言うと、
その友達が「マイちゃんにはあらちゃんがいるじゃない。」と言ってくれたのですが、
私は「あらちゃんはぬいぐるみだもの。」と返したそう(((^^;)

大人になり母から聞きました。

それを聞いたあらちゃんは当時怒ったかもしれないなぁ。

中学生になる頃には、私は反抗期を迎え、ぬいぐるみは押し入れにしまってしまったのです。
勿論あらちゃんも。

そこから中、高校時代、大事なはずのあらちゃんは押し入れに仕舞われたまま。
しばらくお部屋に出さないという暴挙をしてしまいました..

今でも根にもっているようでたまに怒ってます。(^^;)

大学あたりであらちゃんは押し入れから復帰。
長いこと可哀想なことをしてしまいました(;_;)

それから社会人になり、あらちゃんはずっとリビングで、両親・私と一緒に過ごしていました。
しばらく仕舞われて汚れていたあらちゃんをお風呂にいれベランダで日光浴したり。
ぬいぐるみ病院への入院の予約をとり、しばらく経って私は結婚が決まりました。

主人もあらちゃんのことを可愛がってくれ、あらちゃんは無事入院。

偶然ですが、奇跡的に私の29歳の誕生日の日にあらちゃんはぬいぐるみ病院から退院しました。
病院にお願いしてくれたのかな~。て思ってます笑

今ではトラのぬいぐるみさん、
我が家のペットのハムスターという弟二人が出来、
だいぶお兄さんになったあらちゃんです。

これからもずっと一緒!だいすきだよ!