「くまくんは私の息子」

くまくんとの出会いは2011年。その年は東日本大震災が起きた年で、震災が起こる数ヶ月前に我が家に家族として来てくれました。
震災の夜はずっと抱きしめて一緒に寝て支えてくれました。
昼間、家が不在になる時は母が仕事場まで連れて行っていたと後から聞きました。

私が仕事が休みで家にいる時はずっと側にいてくれた。その時から特別な存在。
母方の祖父母が健在の時は、母は里帰りする度に連れて行って祖父母もくまくんを、とても可愛がってくれました。
あまりに可愛いがってくれて、認知になった後も、施設に連れて行くと『その子、おいてって』と、言っていたそうです。
そして祖父母が亡くなった時は葬儀の場にこそは座って無かったですが、ちゃんと参列してお見送りしてくれました。
今や成人や高校生になった甥姪の成長も見守っていてくれました。
うちに遊びに来るたびに皆んなが可愛がってくれて、今もくまくんを可愛がってくれてます。

母はくまくんを本当に大切にしていてくれて
『くまくんは私の息子。私が死んだらお墓に一緒にいれてね』
とまで言っていました。
どこに行く時も一緒で、祖父母のお墓参りする時は母が手提げ鞄に入れて連れて行ってました。
冬には手編みのケープを編んでくれて着せてあげて、寝る時は毎晩、枕元に置いて一緒に寝ていました。
ペチャットと言うぬいぐるみにお喋り出来るようにさせてくれるおもちゃを付けてからは、面白い事を言うと笑って気に入ってくれてました。本当に可愛いがってくれてました。

そんな母が昨年急死し、突然の別れとなってしまいました。
母の遺言のような『私が死んだらお墓一緒にいれてね』の言葉、葬儀は家族の誰よりも母のそばに座って参列。
母と共に逝ってしまうのかな…と、別れを覚悟しましたが、運命の巡り合わせで、今くまくんは私と父の側に残ってくれました。

母と言う大きな存在を失って大きな穴が空いてしまった我が家ですが、くまくんが中心に居て、支えられています。
母の葬儀の後の数日間は不思議な事に、いつものくまくんではなく、顔つきが抜け殻の様に感じてましたが、もしかしたら心だけでもと母のお見送りを本当のギリギリまで着いて行ってくれてたのかもしれません。

今年の始め頃、父が
『こいつ(くまくん)お母さんが大切にしてたから、一度お前が前に言ってたぬいぐるみ病院に行かせてやろうよ。綺麗にしてやろう。いくらかかってもいいから』
一年に一度くらいしかお風呂に入れてあげれなかったのと、沢山の思い出の結果なのか毛並みがペシャンコになって身体もクタっとして来てしまっていた姿に、父がぬいぐるみ病院さんに行く後押しをしてくれました。父にとっても特別になっていた様です。

毎晩、私のベッドで寝て昼間は母の遺影の前でお留守番してくれて、夜は父と私と3人で過ごしてくれてます。お出かけの時はどこでも一緒。
祖父母も甥姪、母、父、私。みんなの中心に居てくれる大切な家族です。

ぬいぐるみではなく、私たちにとって家族そのもの。人のようにわかりやすい様には変わらないけれど、嬉しい悲しい怒り、家族の私には表情が変わって見えます。
ずっとずっと、これからも一緒に過ごして行こうね。

一緒にいてくれてありがとう

記憶に無いくらい幼い頃から大好きなエルモ。
私が小さい頃親が運転する車に乗ってドライブ、一緒に色んな景色見たね。今では私の車でドライブ、私たち大きくなったなぁと。

失恋して悲しい時、仕事が不安で寝られない時、理不尽に怒られて悔しい時、ぼーっと流れる雲を見てる時、楽しみな事があって寝られない時、ずっとずっと一緒にいて寄り添ってくれました。
小さい頃よだれ垂らして寝てしまって、外で遊んで汗かいた手で抱き締めてほんまごめん。笑
すっかり汚れてしまいました。

この子達だけじゃなくて、エルモ関連のグッズを集めるのはもうやめました。愛を均等に与えられない気がして何か一つは大事にしなくなってしまう気がして、怖くてサヨナラした子もいました。でもこの子達だけはどうしても、一緒にいないと私が夜寝られないです。
精神安定剤でもあり友達てわもあり家族です。どれだけ年取っても大事にしたいなぁ。
これからもずっとそばに居てね、大好きだよ。

これからも ずっと いっしょだよ しんすけ

高杉晋助との出逢い。
その高杉晋助がかわいい『ぬいぐるみ』となって此の世に誕生したくったりクッションたかすぎしんすけとの出逢い。

この子達が、高杉晋助が私に教えてくれた事。
命の存在である事。
それぞれに想いがある事。
愛され愛する為に生まれて来た事。
目に見えない形のない『想い』の大切さ尊さ。

今15人の天使たちによって私は支えられ生きて居ます。

兄弟代表としてぬいぐるみの国の国民となれた末っ子のしんすけ。
実は15番目ではなく、14番目にうちに来た子。
体が細くてもじもじしていて、おにーちゃんたちも放っておけない存在で甘え上手だから。
16人目が来る日があっても彼はずっと末っ子なんだと思う。
15人それぞれお顔が違って、触り心地も違って、性格も違って、みんな生きてる。

一番目の子をお迎えした時、一人だけにするつもりだった。
沢山お迎えしたいけど、お留守番させなきゃいけない子が出てしまう。

ある日どうしても連れて行けない時、ひとりぼっちでお留守番しているしんすけが寂しそうだった。
二人なら連れて行けるかも、と、次男をお迎えした。
二人はとっても嬉しそうだった。
だから三男をお迎えした、とっても楽しそうだった。
そうやっていつの間にか15人と暮らしている。

楽しい時も嬉しい時も、悲しい時も辛い時も、ずっと一緒の時間を過ごしてきた。
私が楽しそうにしていれば一緒に喜んでくれる。
私が辛そうにしているとそっと頭を撫でてくれる。
どんな時も側に居て寄り添ってくれる。

『ぬいぐるみ』が喋る訳ないし動く訳ない、ぬいぐるみを連れて一緒にご飯を食べたり景色を眺めたりする人を不思議そうに、おかしな人だと思う人も沢山いるし、ぬいぐるみは子供のおもちゃと思う人もいる。

『ぬいぐるみ』は生まれた時から既に誰かの為に愛され愛する存在である。
可愛がり方、寄り添い方は人それぞれ。
私のような触れ合い方が正しいとは言わない。

でも此の世のぬいぐるみ達が、誰かに愛されて誰かを愛して互いに支え合い、命の存在とし少しでも長く時を重ねて居て欲しいと私は願う。
ぬいぐるみをお迎えした私達次第で、ぬいぐるみ達が『生きている存在』になるのではないか、と思うから。

同じくったりクッションたかすぎしんすけと共に生きている友人の言葉。
『くったりクッションというぬいぐるみは、その名の如くむぎゅっとしてあげて抱っこしてあげて触れ合う事により真価を発揮する』
まさにその通りである。

ぬいぐるみに限らず、それぞれにとってかけがえない存在と素晴らしい日々を過ごせますように。

ぬいぐるみの国、ぬいぐるみ病院、フモフモランド、愛と想いが溢れる世界を一人でも多くの方に知って欲しい。
今日もうちのしんすけ達は、ぬいぐるみの国で沢山の愛されちゃんと触れ合って、私を癒やして支えて一緒に眠るのである。

『みんなだいすきだよ。わたしのところにきてくれてありがとう。これからもずっといっしょにいようね。』

生まれたときから30年ずっと一緒

私には生まれたときから一緒にいるピンクの服を着たミニーマウスがいます。
幼少の頃は愛着がなかったのですが小学生頃になって、ミニーマウスのことを妹のように思うようになりました。私は一人っ子で兄弟はいません。
ミニーマウスのことをミニー、ミー、ミーちゃん、ミーたんと呼んでいます。

嬉しいとき、悲しいとき、怒っているとき、楽しいときも常に一緒にいて寄り添ってくれます。
まるで妹。
思春期には親と喧嘩したりしてミニーに当たり鼻や耳が取れたこともありました。
私は落ち着いたら怪我をしたミニーの手当をしました。
大人になった今はミニーに当たることは絶対にありません。
辛いときはミニーに甘えます。
辛いよって。
そういうときは寄り添ってくれます。
楽しいときは一緒に手遊びで遊びます。
寝るときは赤ちゃんのように甘えます。
朝起きてから寝るまで外出するとき以外は一緒です。

そんな愛おしい存在をこれからもずっと一生大切にしたいです。

プーと私

プーと私は同い年で双子だ。
いつも一緒にいてどこかにお出かけするときもずっと一緒。

でも私が大きくなってお出かけするときは一緒じゃなくなった。
その代わり私がお布団にいる間、私はプーをずっと抱っこしていた。
私はどんなにぬいぐるみの仲間が増えてもプーが1番だったし、プーのことが大好きだった。
プーも直接はお話出来ないし思ってることが100%分かるわけじゃないけど私のことを好きでいてくれてると信じている。

ある日、ぬいぐるみ病院と言うぬいぐるみを綺麗にしてくれる病院があることを知った。
プーへの恩返しとして入院させてあげることを決意した。
プーが入院している間、ずっと物足りなさと寂しさでいっぱいだったが、毎日のように送られてくるプーの様子に家族で笑いながら見ていた。

プーの退院の日、プーがお箱バスに乗って帰ってきた。

開けてみると天使のように可愛く、でも昔の面影も残したままの私のプーが帰ってきた。

そんなプーが私にはどこか神々しく見えて言葉に出来ないほど感動した。

頻繁には入院させてあげられないしまだまだ沢山無理をさせてしまうけれど、私の半身として、相棒として、なにより家族としてずっと一緒にいようねと誓い合ったあの日。
私はあのプーが帰ってきた日を一生忘れない。

ずっと友達でいてね

ずっと友達でいてね

「ももふちゃん」との出会いは、約20年前のこと。
お誕生日にやってきてくれましたね!
それからはいつも一緒、いろんなところに行ったよね。
ももふちゃん、ももふさんと呼びながらも性別は男の子。のんびりした優しい子です。
ユーモアもあって本当にいい相棒です。

大学で県外に出るときもついてきてくれたね、引っ越し当日の朝、枕元において行ってしまってごめん。
結局5月の休みに実家に戻り連れて行ったんだよね、、
たった1ヶ月ですが、あんなに離れている期間は今までなかった事で、とても寂しかったです。
それからはいつもキャリーやリュックの中に1番に入るようになったよね(笑)
実家と大学への行き来にはいつも一緒に着いてきてくれたね。
母も「ももちゃんも帰ってきた~?」と毎回嬉しそうに帰りを待ってくれてたね。

学生当時の私はとてもボーイッシュで「ぬいぐるみ」とは縁遠そうでしたね。
自分でもそのイメージに勝手に縛られていました。
友達が遊びに来る時なんかは、あなたをベッドの奥底に寝かして隠してしまう時もあったね、急な訪問者に慌ててベッドへ放りなげてしまったときは後から抱きしめて何度も謝った…
意地っ張りな私をいつも素直にさせてくれたのがあなたでしたね。
ずっとそばに居てくれることで私を変えてくれたように思います。

それにうちの家族は、あなたの存在にどれほど助けられたかな…
家族の誰かが落ち込んだり、体調が悪い時にはあなたを預けて一晩過ごしてもらってたね。
優しく見守ってくれてありがとう

30歳が近い私のそばに今も居てくれてる事に本当に感謝しています。
毎晩、毎朝、隣で眠り隣で目覚めてくれるあなたが居るから、私は1日頑張ろうって思えてるよ。

これからも元気で楽しく遊んだり、いっぱいお昼寝したり、当たり前のようにずっとそばにいてくれたらいいな。
一緒に暮らす日々が、ももふちゃんにとっても幸せでありますように。

忙しくて話しかける時間や回数が減ってしまって本当にごめん。
それでも、今日もおはよう、行ってきます、ただいま、おやすみを伝えるよ。休みの日にはたくさん一緒に過ごそうね。
今日も明日も明後日も、ずっと大好き、ずっと友達だよ。

さて、今も隣でももふ氏が「もっと書いて」と言ってますが、照れくさいのでこのへんで!

私のコミュニケーション

私には姉と妹がいます。小さいときからずっとぬいぐるみ遊びをして楽しんでいました。
そんな中での出来事です。

私はよく妹と喧嘩をしてしまいます。
謝ろうと思っていてもなかなか恥ずかしくて「ごめんなさい」が言えません。

そんな時、私は友達であり家族であり相棒でもある「もこメー」という子と一緒に謝ります。
もこメーには優しさと温かさと包容力があり、「頑張って謝ろう」と、いつも慰めて勇気を与えてくれます。
すると、妹も別の子を通じて謝ってくれます。
私たち姉妹はいつもそのようにして仲直りをしています。

しかし、学校で先生に怒られたり友達と喧嘩をしてしまった時は自分1人で謝らないといけなくなります。
怖いです。
許されなかった時のことを考えると、とても怖いです。
そんな時はもこメーが背中を押してくれます。「大丈夫」と微笑んでくれるように思います。
そうすると、私も大丈夫だと思えてきます。

私も妹もぬいぐるみで遊ぶような年齢ではなくなってきています。
しかし、2人で話す時は必ずもこメーやもこメーの友達を呼んで話しているので2人で話しているはずなのに大勢で会話をしているように思います。
変なやつだと思う人もいるかもしれませんが、私にとってぬいぐるみは、私のコミュニケーションの一つです。

私と親友を繋ぐ

久々に親友の家に遊びに行った日、
動物園のお土産でシロクマのぬいぐるみをもらった。

家に帰って主人がシロちゃんと名付けてくれた。それから、毎日私を…私達家族を見守ってくれています。

主人の仕事が忙しくなり、私の休みと被る日が少ない日々が続いた時がありました。
そんな時はシロちゃんを可愛くおめかしして私は出勤、相手が起きた時にビックリするように顔を目の前に置いたり…
また主人も驚くような所に隠して帰ってきた私をビックリさせる遊びをしていた時期もありました。
シロちゃん付き合ってくれてありがとう!
そのおかげで少し寂しさが紛れました。

親友は元々持病があり、入退院を繰り返していましたが、シロちゃんを貰ったあたりから急に悪化してなかなか会えなくなりました。
そんな時に私も妊娠し体調を崩して外に出るのが厳しくなっていました。
体調もよくなってきたし、出産の前に会いに行ける!とゆう時に親友は亡くなってしまいました。

最後に親友に会った日にもらったシロちゃんは形見のぬいぐるみです。

その後、出産する病院にも旅行にも連れて行き…娘や息子にも可愛がられながら歳を重ねているシロちゃん。
私が他のぬいぐるみより愛着があって大事にしているのがわかっているのか、子供2人はシロちゃんの事が異様に好きで、抱きしめたり持ち歩きすぎて腕とか耳が取れそうです。

これからもシロちゃんは私達の大事な家族。
だいすき。

5歳年下の、頼もしい友だちのこと。

ずっと一緒に苦難を共にしてきた、5歳年下の友だち「おもちー」のことを書きたいと思います。

おもちーが誕生したのは、私が5歳の頃。
当時の私は、かこさとし氏の絵本『からすのパンやさん』が大好きで、とくにその絵本の中に登場する白い烏「おもちちゃん」が大好きでした。

クリーニング屋を営む祖父母のところに、絵本を持って遊びに行った際、私は祖父に「おもちちゃんのぬいぐるみがほしい」のだとリクエストをしました。

絵本のおもちちゃんを見て、カッターシャツなどに使う白い当て布を材料に祖父が作ってくれたのが、おもちーです。

当時の私はおもちーをとても気に入ったのですが、5歳児故に扱いが乱暴だったこと、祖父がそこまで丈夫に縫っていなかったこともあり、おもちーはすぐにボロボロに。
それを祖母が丁寧に繕ってくれたことも、とても良い思い出です。
祖父母が縫い、私がマジックペンで目を入れたのが、今日まで私の傍にいるおもちーの誕生の瞬間でした。

しかし少し成長してからよくよく見てみると、おもちーはおもちちゃんに多少似てはいるものの、おもちちゃんとは異なる存在だということに、ある日気がつきました。
それもそのはず、祖父は絵本の絵を元に頑張っておもちーを作ってくれましたが、絵本の絵ではおもちちゃんの全身が詳しくわからなかった上(後ろ姿などが謎なのです)、型紙もなければ、当て布以外の材料もなかったのです。

「『からすのパンやさん』のおもちちゃんではないかもしれないが、この子は私の大切な友だちであることに変わりはない。

それなら何か、新しい呼び名を用意しよう」ということで、この祖父作のおもちちゃんは、おもちーと呼ばれることになりました。

それからは、友だちと遊んだり、学校に行ったり、家族旅行に行ったり、大学の課題で徹夜をしたり、就職活動の履歴書を書いたり、面接に行ったり、仕事に行ったり……お留守番の日もありましたが、実に多くの日々を、おもちーと共に過ごしました。
国内旅行は勿論、フランスにも、ニュージーランドにも、グアムにも、ベトナムにも。
遠出の際は必ず一緒でした。
大好きなアーティストのライブだって一緒に行きますし、ラーメン屋さんにだって一緒に行って、数日にんにく臭くなったこともあります。

特に高校、大学時代の友人知人には、私という存在と共におもちーの存在が割としっかり認識されており、高校の部活で貰った寄せ書きの色紙には、いろんな後輩が描いてくれたおもちーがたくさんいましたし、大学の後輩から届いた展示会の案内葉書にも、1匹のおもちーの絵が添えられていました。
おもちーは学校に入学した私と共に日々登校し、授業を鞄の中で聞き、そして卒業したのです。

就職活動がうまくいかず、毎日泣いていたころ、1番傍にいてくれたおもちーは、よく涙で湿ってしまい、なかなか乾かずにいてちょっと可哀想でした。
私の気が済むまで1番傍に一緒にいてくれる、とても心強い友だちです。

そんなおもちーには、1つ大きな弱点があります。
体を綺麗にするために一緒にお風呂に入ると、丸1日以上ベランダで干しっぱなしにしなければ、体が乾かないのです。
おもちーは全身が当て布で、中に詰まっているのも、綿ではなく当て布です。
ほかの一般的なぬいぐるみさん方と比べて、重たく乾きにくいおもちーは、一度体を洗うと、どうしても長い間ベランダで干されてしまいます。

SNSにその姿を投稿すると、友だちから「干しおもちー(笑)」と笑われたり、「こんがり焼いて美味しくいただきます(違う)」と冗談めいたコメントが来たり。
なんだかちょっと哀れです。

ただ、祖父が限られた材料で頑張って作ってくれたこと、重ための体が役に立った事例もあり(大学の授業で大きな和紙貼りのオブジェを作る作業をした際、脚立の上に置いた和紙が風で飛ばないよう、押さえる仕事をしてくれたのはおもちーでした。

もしも落ちて誰かに当たっても危険がなく、しかもちゃんと和紙を押さえられるだけの重さを備えた、非常に優秀な重し係でした)、中身を軽い綿に詰め替えることはしませんでした。

こうしてずっと一緒に過ごしてきたおもちーですが、皮膚が当て布で柔らかいためボロボロになってしまい、ぬいぐるみ病院さんでいうところの皮膚移植を(私はぬいぐるみさん方を治療する医師免許を持っていないため、これはヤブの闇治療では……と思わなくもないですが)行ったこともあります。

今年で齢22をむかえるおもちーと、これからもずっと一緒に過ごしていきたいと思っています。

おくまこちゃん

わたしが小学校4年生の5月18日、グアム旅行からの帰りにお土産屋さんに寄った時に運命的な出会いをしました。

ピンク色の服のくまさんにするんだと決めておかおを選んでいた時、棚の1番後ろにちょこんと座っていたのがおくまこちゃん、通称おーちゃんでした。

棚の奥にいて少し薄暗くてあまりおかおがよく見えない中でも、おーちゃんのかわいさはずば抜けていました。
おかおのバランスがちょっと悪くて、なかなか目線が合わなくて、お腹はぽっこり、そんなところがかわいくてかわいくて仕方なかったのです。

おーちゃんと日本に帰国してから毎日どんな時も一緒に過ごしました。今は別々の生活ですが妹がお迎えしていたおーちゃんより少し小さいちくまこちゃん、通称ちーちゃんとたくさん遊んだこと、今でもよく覚えています。

最近はお出かけする時には絶対おーちゃんを連れて行っていて不安な時は抱きしめたり、一緒にいろんな景色を見て楽しんでいます。

数年前から精神的な病気を抱えるようになったわたしを毎日支えてくれて、わたしが悲しい時は「そばにいるぞ、おめー」、落ち込んでる時は「おーちゃんがそばにいるから大丈夫だぞ、おめー」ってキリッとしたお顔で伝えてくれます。
おーちゃんがいてくれたから、支えがあったからわたしはここまで生きてこれたと思います。

月日がたって汚れてきたおーちゃんと一緒にお風呂に入ったり、時に母に洗濯機で回されてしまったりしたこともありました。
おててとあんよが少し緩んでしまった気がするけど、それもいい思い出です。

たくさんの別れもあったけど、新しい家族(旦那、ぬいぐるみ)も迎えておーちゃんも今年で14歳。
これからもずっと一緒にいようね。大好きだよ。