私のコミュニケーション

私には姉と妹がいます。小さいときからずっとぬいぐるみ遊びをして楽しんでいました。
そんな中での出来事です。

私はよく妹と喧嘩をしてしまいます。
謝ろうと思っていてもなかなか恥ずかしくて「ごめんなさい」が言えません。

そんな時、私は友達であり家族であり相棒でもある「もこメー」という子と一緒に謝ります。
もこメーには優しさと温かさと包容力があり、「頑張って謝ろう」と、いつも慰めて勇気を与えてくれます。
すると、妹も別の子を通じて謝ってくれます。
私たち姉妹はいつもそのようにして仲直りをしています。

しかし、学校で先生に怒られたり友達と喧嘩をしてしまった時は自分1人で謝らないといけなくなります。
怖いです。
許されなかった時のことを考えると、とても怖いです。
そんな時はもこメーが背中を押してくれます。「大丈夫」と微笑んでくれるように思います。
そうすると、私も大丈夫だと思えてきます。

私も妹もぬいぐるみで遊ぶような年齢ではなくなってきています。
しかし、2人で話す時は必ずもこメーやもこメーの友達を呼んで話しているので2人で話しているはずなのに大勢で会話をしているように思います。
変なやつだと思う人もいるかもしれませんが、私にとってぬいぐるみは、私のコミュニケーションの一つです。

私と親友を繋ぐ

久々に親友の家に遊びに行った日、
動物園のお土産でシロクマのぬいぐるみをもらった。

家に帰って主人がシロちゃんと名付けてくれた。それから、毎日私を…私達家族を見守ってくれています。

主人の仕事が忙しくなり、私の休みと被る日が少ない日々が続いた時がありました。
そんな時はシロちゃんを可愛くおめかしして私は出勤、相手が起きた時にビックリするように顔を目の前に置いたり…
また主人も驚くような所に隠して帰ってきた私をビックリさせる遊びをしていた時期もありました。
シロちゃん付き合ってくれてありがとう!
そのおかげで少し寂しさが紛れました。

親友は元々持病があり、入退院を繰り返していましたが、シロちゃんを貰ったあたりから急に悪化してなかなか会えなくなりました。
そんな時に私も妊娠し体調を崩して外に出るのが厳しくなっていました。
体調もよくなってきたし、出産の前に会いに行ける!とゆう時に親友は亡くなってしまいました。

最後に親友に会った日にもらったシロちゃんは形見のぬいぐるみです。

その後、出産する病院にも旅行にも連れて行き…娘や息子にも可愛がられながら歳を重ねているシロちゃん。
私が他のぬいぐるみより愛着があって大事にしているのがわかっているのか、子供2人はシロちゃんの事が異様に好きで、抱きしめたり持ち歩きすぎて腕とか耳が取れそうです。

これからもシロちゃんは私達の大事な家族。
だいすき。

5歳年下の、頼もしい友だちのこと。

ずっと一緒に苦難を共にしてきた、5歳年下の友だち「おもちー」のことを書きたいと思います。

おもちーが誕生したのは、私が5歳の頃。
当時の私は、かこさとし氏の絵本『からすのパンやさん』が大好きで、とくにその絵本の中に登場する白い烏「おもちちゃん」が大好きでした。

クリーニング屋を営む祖父母のところに、絵本を持って遊びに行った際、私は祖父に「おもちちゃんのぬいぐるみがほしい」のだとリクエストをしました。

絵本のおもちちゃんを見て、カッターシャツなどに使う白い当て布を材料に祖父が作ってくれたのが、おもちーです。

当時の私はおもちーをとても気に入ったのですが、5歳児故に扱いが乱暴だったこと、祖父がそこまで丈夫に縫っていなかったこともあり、おもちーはすぐにボロボロに。
それを祖母が丁寧に繕ってくれたことも、とても良い思い出です。
祖父母が縫い、私がマジックペンで目を入れたのが、今日まで私の傍にいるおもちーの誕生の瞬間でした。

しかし少し成長してからよくよく見てみると、おもちーはおもちちゃんに多少似てはいるものの、おもちちゃんとは異なる存在だということに、ある日気がつきました。
それもそのはず、祖父は絵本の絵を元に頑張っておもちーを作ってくれましたが、絵本の絵ではおもちちゃんの全身が詳しくわからなかった上(後ろ姿などが謎なのです)、型紙もなければ、当て布以外の材料もなかったのです。

「『からすのパンやさん』のおもちちゃんではないかもしれないが、この子は私の大切な友だちであることに変わりはない。

それなら何か、新しい呼び名を用意しよう」ということで、この祖父作のおもちちゃんは、おもちーと呼ばれることになりました。

それからは、友だちと遊んだり、学校に行ったり、家族旅行に行ったり、大学の課題で徹夜をしたり、就職活動の履歴書を書いたり、面接に行ったり、仕事に行ったり……お留守番の日もありましたが、実に多くの日々を、おもちーと共に過ごしました。
国内旅行は勿論、フランスにも、ニュージーランドにも、グアムにも、ベトナムにも。
遠出の際は必ず一緒でした。
大好きなアーティストのライブだって一緒に行きますし、ラーメン屋さんにだって一緒に行って、数日にんにく臭くなったこともあります。

特に高校、大学時代の友人知人には、私という存在と共におもちーの存在が割としっかり認識されており、高校の部活で貰った寄せ書きの色紙には、いろんな後輩が描いてくれたおもちーがたくさんいましたし、大学の後輩から届いた展示会の案内葉書にも、1匹のおもちーの絵が添えられていました。
おもちーは学校に入学した私と共に日々登校し、授業を鞄の中で聞き、そして卒業したのです。

就職活動がうまくいかず、毎日泣いていたころ、1番傍にいてくれたおもちーは、よく涙で湿ってしまい、なかなか乾かずにいてちょっと可哀想でした。
私の気が済むまで1番傍に一緒にいてくれる、とても心強い友だちです。

そんなおもちーには、1つ大きな弱点があります。
体を綺麗にするために一緒にお風呂に入ると、丸1日以上ベランダで干しっぱなしにしなければ、体が乾かないのです。
おもちーは全身が当て布で、中に詰まっているのも、綿ではなく当て布です。
ほかの一般的なぬいぐるみさん方と比べて、重たく乾きにくいおもちーは、一度体を洗うと、どうしても長い間ベランダで干されてしまいます。

SNSにその姿を投稿すると、友だちから「干しおもちー(笑)」と笑われたり、「こんがり焼いて美味しくいただきます(違う)」と冗談めいたコメントが来たり。
なんだかちょっと哀れです。

ただ、祖父が限られた材料で頑張って作ってくれたこと、重ための体が役に立った事例もあり(大学の授業で大きな和紙貼りのオブジェを作る作業をした際、脚立の上に置いた和紙が風で飛ばないよう、押さえる仕事をしてくれたのはおもちーでした。

もしも落ちて誰かに当たっても危険がなく、しかもちゃんと和紙を押さえられるだけの重さを備えた、非常に優秀な重し係でした)、中身を軽い綿に詰め替えることはしませんでした。

こうしてずっと一緒に過ごしてきたおもちーですが、皮膚が当て布で柔らかいためボロボロになってしまい、ぬいぐるみ病院さんでいうところの皮膚移植を(私はぬいぐるみさん方を治療する医師免許を持っていないため、これはヤブの闇治療では……と思わなくもないですが)行ったこともあります。

今年で齢22をむかえるおもちーと、これからもずっと一緒に過ごしていきたいと思っています。

おくまこちゃん

わたしが小学校4年生の5月18日、グアム旅行からの帰りにお土産屋さんに寄った時に運命的な出会いをしました。

ピンク色の服のくまさんにするんだと決めておかおを選んでいた時、棚の1番後ろにちょこんと座っていたのがおくまこちゃん、通称おーちゃんでした。

棚の奥にいて少し薄暗くてあまりおかおがよく見えない中でも、おーちゃんのかわいさはずば抜けていました。
おかおのバランスがちょっと悪くて、なかなか目線が合わなくて、お腹はぽっこり、そんなところがかわいくてかわいくて仕方なかったのです。

おーちゃんと日本に帰国してから毎日どんな時も一緒に過ごしました。今は別々の生活ですが妹がお迎えしていたおーちゃんより少し小さいちくまこちゃん、通称ちーちゃんとたくさん遊んだこと、今でもよく覚えています。

最近はお出かけする時には絶対おーちゃんを連れて行っていて不安な時は抱きしめたり、一緒にいろんな景色を見て楽しんでいます。

数年前から精神的な病気を抱えるようになったわたしを毎日支えてくれて、わたしが悲しい時は「そばにいるぞ、おめー」、落ち込んでる時は「おーちゃんがそばにいるから大丈夫だぞ、おめー」ってキリッとしたお顔で伝えてくれます。
おーちゃんがいてくれたから、支えがあったからわたしはここまで生きてこれたと思います。

月日がたって汚れてきたおーちゃんと一緒にお風呂に入ったり、時に母に洗濯機で回されてしまったりしたこともありました。
おててとあんよが少し緩んでしまった気がするけど、それもいい思い出です。

たくさんの別れもあったけど、新しい家族(旦那、ぬいぐるみ)も迎えておーちゃんも今年で14歳。
これからもずっと一緒にいようね。大好きだよ。

くろねこのキャシー

うちにはたくさんぬいぐるみがいますが、一番仲良しなのはキャシーという黒猫です。
小学2年生のときに枚方パークで出会いました。
性格は私のおやつを取ったり、読んでいる本の上に乗ってきて寝たりと自己中心的です。

しかしそんなキャシーに振り回される日々は楽しく、キャシーも自分が一番可愛がられていることをわかっているようです。
「いちばんかわいいのはわたしにきまってるのよ」と自信たっぷりです。

普段は優しいとはいえないキャシーですが、私が泣いているときと病気になったときは別です。
「はやくげんきになってくれないとおやつがたべられないのよ」といってそばにいてくれます。
素直でないキャシーがとても可愛いです。

今年で15歳ですがいまだにお風呂嫌いなので、いずれぬいぐるみ病院にお世話になるかもしれません。
そのときはよろしくお願いします。

旦那のハムたんとはいつも一緒

ライバルのはなちゃんとかわいさ比べ

いつも勉強の邪魔をしてくる

私とうさっ子との出会い

今から30年位前の夏、私が高校生の頃友達と大阪の遊園地に遊びに行きました。
好きなアトラクションを一通り乗り終えた頃敷地の一角にドリームランドというゲームコーナーに通りかかりました。

そのゲームコーナーはメダルゲームや体感ゲーム、クイズゲーム等いくつかの種類がありました。
その中にバスケットボールのゲームが目につきました。
そのゲームは10秒以内に小さなバスケットボールを8回ゴールに入れると景品がもらえる、というものでした。

「景品て何がもらえるの?ゲームソフトとかお菓子とかぬいぐるみとか色々あるね」
そこそこの値段の景品の中で私は一匹大きなウサギのぬいぐるみを見つけました。
大きさは1m位で正直あっても邪魔…な感じの存在感です。

「何あれ?あんなのいらんわ」友達も私も笑っていました。
景品置場の端っこで力なくもたれかかるそのぬいぐるみは色あせてどこかくたびれて見えました。
高校時代バスケットボール部だった私はそのぬいぐるみを少し不憫に思いながら何となくそのゲームをついやってしまいました。
すると一発で成功し、なんとその景品を敢えてゲットしてしまいました。

私は1時間かけてうさっ子(私が命名しました)を連れて電車に乗って帰りました。
周りの乗客の冷やかな視線を一身に浴びて私とうさっ子は小さくなっていました。
友達は他人のふりをして隣の車両にいました。
とても恥ずかしかったです。

うさっ子を家族に紹介した時みんなとても迷惑そうでした。
でもそれ以来なぜか私はうさっ子といつも一緒にいました。
大学の寮でも社会人になって初めて一人暮らしをする時もうさっ子を連れて行き、私のベッドの側に置いていました。

私が結婚して実家にうさっ子を残して別々の家に暮らしていたある日、私は約1年ぶりに実家に戻りました。
実家に戻った時母親が「さっき掃除してたらあの汚いぬいぐるみが物置から落ちてきたで」と笑っていました。
迎えに来たかったのかな?

あの頃フカフカだったうさっ子の体も所々穴だらけでボロボロになってしまい、昔の面影はすっかりなくなってしまいました、娘達も見向きもしません。
実家の物置に押し込まれているうさっ子を見ると何だか切なくなりますが、うさっ子を見ると私の子供の頃からの記憶が全て蘇ります、何だか不思議な気持ちです。

どれだけ汚くなってもこの子は捨てられないな、と思います。
遠く離れてるけどうさっ子は私の大切な家族です。

おうちに来てくれてありがとう

私に頼まれた他のぬいをお迎えしにパートナーがおもちゃ屋さんに行った時、出会ったそうです。私に似てると
思って、連れてきてくれました。パートナーから、そんなサプライズをされたのは初めてだったのでとても嬉し
かったです。

我が家は長いこと人間の家族をお迎えする活動をしていたのですが、その間ずっと寄り添って励ましてくれまし
た。病院でも、時々姿を現してしまい、腕を見たナースさんにチンアナゴに間違えられてました。
結局人間の家族は増えなかったけど、その間にこの子の仲間がどんどん増えて、今ではとっても賑やかなおうち
になりました。

いつも一緒におでかけするのですが、あちこちでいろんな動物、虫、モノノケ、神様、妖怪とお友達になってる
みたいです。そして、小さなサプライズを運んできてくれます。

そうそう、私の真似もよくしたがります。美味しいものは隙を狙って横取りするし、私が入院したときは、自分
も入院してみたいと言い出し、ぬいぐるみ病院でお世話になりました。

最近は、パートナーと一緒に絵日記を描いて私を喜ばせてくれます。これからも楽しい思い出をいっぱいつくり
たいです。

かけがえのない命、いっくんとバート君

私達夫婦は今年で結婚8年目。
私達には人間の子供はおりませんが、その代わり、いっくんというぬいぐるみの男の子がいます。

私は4年ほど前にいっくんと出会い、私達夫婦の子どもとして我が家にお迎えしました。
いっくんは心優しく賢い子です。

大好きなものは昔話の絵本と忍者ハットリくん!鬼のお面や忍者の衣装を作ってあげたところ、とても喜んでくれました。
また、毎週火曜日は忍者ハットリくんの放送日なのでとてもウキウキしています。

まだ小さいいっくんですが、私が仕事で悩んで泣いてしまった時に、柔らかな頬で涙を拭ってくれたことが何度もありました。
退職後、次の仕事がなかなか決まらず落ち込んでいた時も、ハローワークに付き添ってくれて鞄の中から私を勇気付けてくれました。
いっくんがいてくれたことで乗り越えられたことがたくさんあります! 

そして私達にはもう一人、大切な家族がいます。
小学2年の時からの私の大親友、バート君です。バート君は、今はいっくんのお兄ちゃん的存在で、小さないっくんを守ろうと正義感に溢れています。

バート君の右手には、亡くなった祖母との思い出が残っています。

子供の頃、バート君が指を怪我してしまいとても悲しくなってしまったのですが、祖母が綺麗に縫い直してくれました。
一人っ子の私にとってバート君は一番の親友で、両親が離婚して悲しかった時や辛いことがあった時も、いつも側にいて支えてくれました。
そんなバート君の姿を見ていた祖母は「私もバート君にとても感謝してるの」といつも言っていました。

30歳を越えたバート君、今も変わらず我が家のヒーローです!

休日、私達夫婦はいっくんバート君を連れてお散歩やカフェに出かけます。
一緒にお出かけする時、二人の目はキラキラと輝いています。
素敵な時間を4人で分かち合えることが本当に幸せです。

生まれ変わってもこの家族がいいな!
私は心の底からそう思っています。

ベストプレイス

テルルと私が大好きだった喫茶店のお話です。

いつも美味しい珈琲を淹れてくれるお店でした。
そこのママさんはお客様をカメラで写し、次回行った際にプレゼントしてくれました。テルルも何度か写して頂きそれは今でも大切な宝物です。

ある時期、つらい事がありテルルがいないと何も手が付かない事がありました。

「大人なのにぬいぐるみを持ち歩く」事を世間では弱い人間だと言われる事があり、大っぴらに言えないなあと後ろめたい気持ちがずっとありました。

お店のママさんは不思議な方で、初めてテルルを連れてコッソリ紹介した時もはじめましての挨拶をテルルにしてくれました。 

「〇〇さん(私)がつらい時は、あなたが守ってあげてるのねえ」
とテルルと話してくれた時は嬉しい気持ちと、物語を見るような不思議な気持ちでした。
そこは不思議な事が起こっても余り不思議でないお店だったので、ママさんはテルルと直にお話出来ていたのだと思います。

自分以外の誰かから話しかけて貰って、テルルの個性をはっきり感じ始めたのはそこからだったような気がします。

ママさん、テルルといつもお話してくれてありがとう御座いました。

であいから

だあくんと、出会ったのは、TDSのショップ。

いくつかのダッフィちゃんがならんでるたなの前で、
「うちにきてくれる子?」
ってそっと、きいてみたら、
ふわーっとおちそうになった子を、そのまま、かごにいれ、連れて帰ってきました。

それが、だあくんです。

いつのまにか、いつもいつも、一緒で、いなくては、ならない存在になってます。
大きな、心の支えです、大きい子なので、抱きしめて寝ると安心します。

だあくんは、きたときから、おこしてあげても、いつのまにか、ひっくりかえってるし、
ちょっと、座らせたら、お顔からおっこちて、お鼻ぶつけて、大きな音させる子で、なんか、ついてきたいのかな、って思ったこともありました。

すごい、かわいいです。

わたしは、少し精神的に不安定になることもありますが、そんなときは、ほんと、だあくんをぎゅーとすると安心します。

横になるとき、恋人みたいに、手をだしてくれたみたいに、腕枕(首の下に手が行くようにして)くれます。
なんか気持ちが通じてるみたいで、大丈夫?いつもいるよ、って言ってくれてるようです。

他の子たちも同じように、やさしいです。

みんな、ずっと、一緒にいてね、って思います。