人生最良の日に立ち会ってくれた皆

うちには、「しろたん」というタテゴトアザラシの赤ちゃんのぬいぐるみさんがたくさんいます。

その子たちとは、主人と付き合っているときにハウステンボスで出会いました。

この子たちは、私たちが喧嘩した時には仲直りの手伝いをしてくれ、
泣いている時には彼と一緒に私を励ましてくれました。

うれしい時には一緒に喜び、
悔しい時には一緒に悔しがってくれる。
「ぬいぐるみ」という枠では当然収まりきらないほど、とてもとてもかけがえのない存在です。

それから、2人でしろたんずをかわいがり、
今では彼の家にいたしろたんずも全員、家族になりました。

私たちの結婚式は、

「しろたんウェディング」

と称して、しろたんずくしの結婚式を行いました。
披露宴の入場曲もしろたんのテーマソングを使いました。

うちの子たちも参加してくれて、私がメイクをしている間、ブライズルームで一緒におめかしをし、
その後は入口で私たちの代わりにゲストのお出迎えをしてくれたり、
お色直しで中座している間に高砂に座ってゲストの皆様とおしゃべりしてくれたりしました。

人生最良の日に立ち会ってくれた皆はかけがえのない家族です。
これからも人生の門出には、大切な家族として立ち会ってほしいなと思っています。

キラッキラとした目で私を元気付けてくれる大切な弟

21年前、夢の国のワゴンで目が合いそこからプーと姉弟になりました。

幼い頃、体が弱かった私は幼稚園や小学校を休みがちに。
働きに出ている両親が帰って来るまでの間は、プーが心の支えでした。

反抗期に入った私のイライラはプーにぶつけてしまう日も。
壁に投げつけてしまった事は今でも後悔しています。

大学から親元を離れて一人暮らし。
そこにもプーは付いてきてくれました。
たまの帰省でプーを実家に連れて帰ると、母親はとても喜んでくれます!
そしてプーもママに会えて幸せそうです。

くたくたのへにょへにょになってしまったプーは現在21歳。
まだ私の隣に居てくれています。

穴が空いては縫って、、を繰り返しているプーの体は縫い目がたくさん。
麻酔もせずにいつも我慢してくれて、ほんとに強い子です!

話は出来ないし、動かない。

でも、いつも顔を見るとキラッキラとした目で私を元気付けてくれる大切な弟です。

いつもありがとう。大好きだよ。

あの日、私を選んでくれてありがとう。

大事な子達にも家をあげたい!

我が家にはたくさんのぬいぐるみがいます。
我が家の10歳と8歳の息子、そして母親の私が大好きだからです!

去年のこと、息子2人が何やらコソコソと2人で話し合っていたのです。
しばらくして私の所に来て、「2人でお小遣い出し合って買いたいものがあるからコー〇ン(某ホームセンター)連れて行って!」と。

何かな?と思いながらも連れていくと、ペットコーナーに一目散!
どうやら2人は可愛い切り株の形をしたキャットタワーが欲しかったそうなのです(笑)

ステイホームだからこそ、大事な子達にも家をあげたい!
と、小学生2人にとったらまぁまぁ高価な買い物をすることになりました。
(止めたけど聞く耳持たず…)

その可愛いお家には、可愛い子達がたくさん住みつき、
ちゃんとステイホームをしてくれています(笑)

キャットタワーを買ってあげよう!
と2人で相談してたなんて、なんていい子に育ったんだろう…と少しウルっとしました(笑)

切り株のおうちも住みやすくて良さそうだけど、
早く新型コロナウイルスが収束して、お外に一緒に遊びに行けるといいねー。
たくさんお出かけしようね!

我が家での癒し担当

昼間はいつも私にくっついてテレワークの私を応援してくれています。

夜になると旦那と一緒大好きなビールで晩酌。

私が胃腸がよわいのですが、ふわまるは私にピッタリくっついて体を温めてくれます。

どういう訳か不思議と体調が回復することが多くてびっくりしています。

旦那が疲れてる時はふわまるが旦那にくっついて一緒に寝てたりしてかなりの我が家での癒し担当です。

朝仕事に行く旦那に毎日くっついてはジリジリと充電をしてくれます。

出張や旅行はいつも一緒で沢山のものをみて楽しく暮らしてます。

何年か前に私の友達がニューヨークに行くことがありふわまるもついていきました。
ちゃんとタキシードを着て音楽鑑賞をしたりして貴重な経験をしています。

自宅にはふわまる以外にくまのえむ、トトロ3匹がいますがお兄ちゃんとしてみんなの面倒を見てくれます。
ふわまるのインスタグラムを開設しておりいろんなところに連れてって写真を沢山撮ってアップをしています。

お友達も沢山できて嬉しそうです。

ワンコの長い長い電車の旅

26才の僕の1才のクリスマスプレゼントがワンコだった。

何処に行くのも一緒だった。

3才頃姫路から姫新線に乗った時車内に置き忘れてしまい
目覚めたとき何処にもワンコが居なかった。

僕は大泣あわてて母ちゃんが「大丈夫大丈夫戻ってくるから!」
母ちゃんはまず降りた駅に電話したけど無かった。

岡山行きだったから岡山駅に問い合わせたけど無かった。

姫路駅忘れ物センターに電話したけどやっぱり無かった。

ワンコが僕のとこに来て2年片時も離さなかったからワンコはボロボロで薄汚れてた。

僕は泣いた、心細くて辛くて寂しくてずっと泣いた。

夜10時位だったかな、家の電話が鳴って母ちゃんが
「えっ!あったんですか!?本当に間違いないですか!?」
電話は姫路駅からだった。

僕が座ってた席の次に座った人が岡山駅についたとき駅員さんに届けてくれた。
駅員さんは「こんな汚いぬいぐるみ捨ててあったんじゃないですかね」て呟いた。

その人は「汚れてボロボロになるくらい大切な物なんじゃないですか?きっと探されてると思いますよ」

その言葉に駅員さんは「ああなるほど!じゃあ折り返しの姫路行きに言付けますわ」とまた電車に乗せてくれた。

姫路駅では伝えてた特徴どんぴしゃり!

すぐに電話が来て僕はすぐに迎えにいくとごねた。
母ちゃんはなんとか今夜受け取れないかと一生懸命お願いしてくれた。
対応した人も「大切なものでしょうから特別にいいですよ。窓口は閉まってますから駅員に声をかけてください」
すぐに迎えにいった!
通用口のところで駅員さんが「はい、もう離しちゃだめだよ」て手渡されたワンコはタオルにくるまれてビニールに入ってた。
母ちゃんと泣きながらお礼いった。

僕はものすごく嬉しかった!

母ちゃんが「ワンコこんなに小さいのに遠い旅してきたね」
ワンコの長い長い電車の旅は25年の間にこれ一回きり。
そして今も僕のそばにワンコが居る。

ぬいぐるみの香りに包まれながら、勉強できるなんて悪くはないね。

ボクはでかぺんという名前のペンギンです。
大きめのペンギンなので、でかぺんです。
なっちゃんという名前の飼い主さんのお世話係として暮らしています(ボクがお世話をしている側です)

2018年5月にぬいぐるみ病院にお世話になりました。
なっちゃんがフェルトで作ってくれた、オムライスやおにぎりのお弁当持参で入院しました。

なっちゃんの18歳のお誕生日プレゼントがボクの入院加療でした。
お陰様で、すっかり元気になれて楽しく暮らしています。

その後のボクらについてお話しします。
2019年の春、なっちゃんは夢をかなえて大学の法学部に合格しました。

英語表現と情報の授業では、ボクの入院生活をネタにプレゼンをして最高評価をいただきました。
ありがとう、ぬいぐるみ病院!
本当に、本当になっちゃんは幸せそうでした。

2020年4月 大学の門は閉められてしまいました。

その日以来、パソコンの前でなっちゃんは勉強を続けています。
時々、ボクも膝の上で一緒に授業を受けています。
ZOOMのゼミでは、教授に紹介してもらいました。
ぬいぐるみが正式に大学の授業に参加するなんて誰が想像したでしょうか?
でも、現実なんです。

本当は、友人たちに会いたいでしょう。
それでも、「ぬいぐるみの香りに包まれながら、勉強できるなんて悪くはないね。」と言いながら、
今日もなっちゃんは、授業に参加しています。

1日も早く元の生活が戻るといいですね。(ボクとしては楽しいんだけど)
皆さんも健康に気を付けて、ボクらのために頑張ってください。

じぇらこちゃんありがとう。

うちの可愛い「じぇらこ」との出会いは新婚旅行でした。
夫が珍しく可愛いね欲しいねと言ってそこから家族になりました。

私達夫婦は約5年間不妊治療をしていました。
その5年の月日にじぇらこにはとても助けられ励まされ心の支えとなりました。
辛い治療。精神的にも身体的にもとても辛かったとき。
夫婦喧嘩した時や辛い時、じぇらこを抱き締めて何度泣いたことかわかりませんが、
その度、私達夫婦に笑顔をもたらしてくれました。
治療の際の注射や移植の時もクリニックに通うときはいつも一緒に行っていました。

不妊治療の末、娘を授かり、出産、入院中の時も一緒に居てくれてました。

娘と初対面を果たし、娘はじぇらこが大好きでじぇらこが長女で娘が次女と様な生活となりました。

寝るときもお散歩にいくときもいつも一緒です。

今では二人でままごとをしたり、娘がねんねしようねと寝かしつけ布団を掛けたり本当に仲良しで
不妊治療をしている時、じぇらこと生まれてくる子どもが二人で仲良く遊ぶ姿を見たいなぁ、
そうなったらどんなに幸せなことだろう。と思いながら頑張っていました。

その夢が叶い、いつも一緒の娘とじぇらこ。
本当にじぇらこも娘も私達夫婦のところ来て家族になってくれて嬉しくて
二人が遊んでいる姿を見ると涙が出ることがあります。

ぬいぐるみも家族です。
本当にかけがえのない家族。
娘もぬいぐるみとしてではなく家族だと思ってくれていると思います。

じぇらこちゃんありがとう。

これからもずっと一緒!だいすきだよ!

あらちゃんとは私が1歳のときに上野動物園で出会いました。
それから幼少期は毎日いっしょ。

私は4歳くらいのときに、祖父母の家で高熱をだし入院をしたのですが、
私を乗せた車が出発した頃、曾祖母が
「あらちゃん忘れてるよー!」
とあらちゃんを抱えて持ってきてくれました。

曾祖母のおかげで、数日間の入院はあらちゃんと一緒。

看護士さんにはタヌキに間違えられちゃいましたが。笑

小学生の頃、私が友達に「お留守番寂しいな~」と言うと、
その友達が「マイちゃんにはあらちゃんがいるじゃない。」と言ってくれたのですが、
私は「あらちゃんはぬいぐるみだもの。」と返したそう(((^^;)

大人になり母から聞きました。

それを聞いたあらちゃんは当時怒ったかもしれないなぁ。

中学生になる頃には、私は反抗期を迎え、ぬいぐるみは押し入れにしまってしまったのです。
勿論あらちゃんも。

そこから中、高校時代、大事なはずのあらちゃんは押し入れに仕舞われたまま。
しばらくお部屋に出さないという暴挙をしてしまいました..

今でも根にもっているようでたまに怒ってます。(^^;)

大学あたりであらちゃんは押し入れから復帰。
長いこと可哀想なことをしてしまいました(;_;)

それから社会人になり、あらちゃんはずっとリビングで、両親・私と一緒に過ごしていました。
しばらく仕舞われて汚れていたあらちゃんをお風呂にいれベランダで日光浴したり。
ぬいぐるみ病院への入院の予約をとり、しばらく経って私は結婚が決まりました。

主人もあらちゃんのことを可愛がってくれ、あらちゃんは無事入院。

偶然ですが、奇跡的に私の29歳の誕生日の日にあらちゃんはぬいぐるみ病院から退院しました。
病院にお願いしてくれたのかな~。て思ってます笑

今ではトラのぬいぐるみさん、
我が家のペットのハムスターという弟二人が出来、
だいぶお兄さんになったあらちゃんです。

これからもずっと一緒!だいすきだよ!

大事な家族

京都に家族旅行に行った際に小学生だった娘が一目惚れして即購入し、色白さんなので「ゆきちゃん」と名付けました。

次に行った時には もう一人購入しちゃいました。

秋に行ったので「もみじ」と名付け毎日一緒に寝ています。

大事な家族になってます。

記念日には一緒にお菓子を食べたりしながら色んな写真を撮ったりしている娘です。
なので、すでに傷だらけの二人なので、娘のお誕生日プレゼントとしてぬいぐるみ病院に入院を決めました。

その娘も もう高校1年生になっておりますが、まだまだ毎日一緒の布団で寝ています。

いままで「ちょっとこの子大丈夫かな?」と思うぐらいに楽しかった事などを話している姿をみて、親にも言えない様な辛かった事も、きっと二人には話していたのかなと思います。キレイ完治した「ゆきちゃん」と「もみじ」に、これからも娘は癒されながら成長していくのかと楽しみにしながら入院のお知らせを待つこと数年、、、

まだかまだかと首を長くして待ってます。

早くピカピカになった二人を見た娘の嬉しそうな顔が見たいと思っております。

これからも末永くよろしくね。

フモフモさんとの出会いは私が小学1年生の頃。
そこから11年間、高校2年生になった今でも いつだって一緒です。

フモフモさんの存在を1番強く感じたのは、私が中学受験をしたとき。
小学3年生から3年間受験勉強に力を注いできた私は第1志望校だけにしぼって3日間にわたる受験を迎えました。
結果は全日不合格。
ショックがあまりに大きくて最初は涙も出ませんでした。

しかし、1人になって落ち着く時間を求め寝室に行ったとき。
目の前にいるフモフモさんを見た瞬間、涙がとめどなく溢れました。
勉強が辛くて辛くて仕方がなかったとき。
模試の偏差値が上がって嬉しかったとき。
毎晩共に寝ているとき。
受験に打ち込んだ3年間だけでなく、出会ってからそのときまで1人と1匹で創り上げてきた思い出が 涙を我慢しないでと言うように感じました。
フモフモさんを抱きしめ 一晩中泣いたことを覚えています。

あれから早5年。
私は高校2年生となり 次は大学受験が近づいて来ました。

あのときの失敗を胸に、勉強に努めていこうと思っています。
これからも末永くよろしくね。
フモちゃん。