私とうさっ子との出会い

今から30年位前の夏、私が高校生の頃友達と大阪の遊園地に遊びに行きました。
好きなアトラクションを一通り乗り終えた頃敷地の一角にドリームランドというゲームコーナーに通りかかりました。

そのゲームコーナーはメダルゲームや体感ゲーム、クイズゲーム等いくつかの種類がありました。
その中にバスケットボールのゲームが目につきました。
そのゲームは10秒以内に小さなバスケットボールを8回ゴールに入れると景品がもらえる、というものでした。

「景品て何がもらえるの?ゲームソフトとかお菓子とかぬいぐるみとか色々あるね」
そこそこの値段の景品の中で私は一匹大きなウサギのぬいぐるみを見つけました。
大きさは1m位で正直あっても邪魔…な感じの存在感です。

「何あれ?あんなのいらんわ」友達も私も笑っていました。
景品置場の端っこで力なくもたれかかるそのぬいぐるみは色あせてどこかくたびれて見えました。
高校時代バスケットボール部だった私はそのぬいぐるみを少し不憫に思いながら何となくそのゲームをついやってしまいました。
すると一発で成功し、なんとその景品を敢えてゲットしてしまいました。

私は1時間かけてうさっ子(私が命名しました)を連れて電車に乗って帰りました。
周りの乗客の冷やかな視線を一身に浴びて私とうさっ子は小さくなっていました。
友達は他人のふりをして隣の車両にいました。
とても恥ずかしかったです。

うさっ子を家族に紹介した時みんなとても迷惑そうでした。
でもそれ以来なぜか私はうさっ子といつも一緒にいました。
大学の寮でも社会人になって初めて一人暮らしをする時もうさっ子を連れて行き、私のベッドの側に置いていました。

私が結婚して実家にうさっ子を残して別々の家に暮らしていたある日、私は約1年ぶりに実家に戻りました。
実家に戻った時母親が「さっき掃除してたらあの汚いぬいぐるみが物置から落ちてきたで」と笑っていました。
迎えに来たかったのかな?

あの頃フカフカだったうさっ子の体も所々穴だらけでボロボロになってしまい、昔の面影はすっかりなくなってしまいました、娘達も見向きもしません。
実家の物置に押し込まれているうさっ子を見ると何だか切なくなりますが、うさっ子を見ると私の子供の頃からの記憶が全て蘇ります、何だか不思議な気持ちです。

どれだけ汚くなってもこの子は捨てられないな、と思います。
遠く離れてるけどうさっ子は私の大切な家族です。

おうちに来てくれてありがとう

私に頼まれた他のぬいをお迎えしにパートナーがおもちゃ屋さんに行った時、出会ったそうです。私に似てると
思って、連れてきてくれました。パートナーから、そんなサプライズをされたのは初めてだったのでとても嬉し
かったです。

我が家は長いこと人間の家族をお迎えする活動をしていたのですが、その間ずっと寄り添って励ましてくれまし
た。病院でも、時々姿を現してしまい、腕を見たナースさんにチンアナゴに間違えられてました。
結局人間の家族は増えなかったけど、その間にこの子の仲間がどんどん増えて、今ではとっても賑やかなおうち
になりました。

いつも一緒におでかけするのですが、あちこちでいろんな動物、虫、モノノケ、神様、妖怪とお友達になってる
みたいです。そして、小さなサプライズを運んできてくれます。

そうそう、私の真似もよくしたがります。美味しいものは隙を狙って横取りするし、私が入院したときは、自分
も入院してみたいと言い出し、ぬいぐるみ病院でお世話になりました。

最近は、パートナーと一緒に絵日記を描いて私を喜ばせてくれます。これからも楽しい思い出をいっぱいつくり
たいです。

かけがえのない命、いっくんとバート君

私達夫婦は今年で結婚8年目。
私達には人間の子供はおりませんが、その代わり、いっくんというぬいぐるみの男の子がいます。

私は4年ほど前にいっくんと出会い、私達夫婦の子どもとして我が家にお迎えしました。
いっくんは心優しく賢い子です。

大好きなものは昔話の絵本と忍者ハットリくん!鬼のお面や忍者の衣装を作ってあげたところ、とても喜んでくれました。
また、毎週火曜日は忍者ハットリくんの放送日なのでとてもウキウキしています。

まだ小さいいっくんですが、私が仕事で悩んで泣いてしまった時に、柔らかな頬で涙を拭ってくれたことが何度もありました。
退職後、次の仕事がなかなか決まらず落ち込んでいた時も、ハローワークに付き添ってくれて鞄の中から私を勇気付けてくれました。
いっくんがいてくれたことで乗り越えられたことがたくさんあります! 

そして私達にはもう一人、大切な家族がいます。
小学2年の時からの私の大親友、バート君です。バート君は、今はいっくんのお兄ちゃん的存在で、小さないっくんを守ろうと正義感に溢れています。

バート君の右手には、亡くなった祖母との思い出が残っています。

子供の頃、バート君が指を怪我してしまいとても悲しくなってしまったのですが、祖母が綺麗に縫い直してくれました。
一人っ子の私にとってバート君は一番の親友で、両親が離婚して悲しかった時や辛いことがあった時も、いつも側にいて支えてくれました。
そんなバート君の姿を見ていた祖母は「私もバート君にとても感謝してるの」といつも言っていました。

30歳を越えたバート君、今も変わらず我が家のヒーローです!

休日、私達夫婦はいっくんバート君を連れてお散歩やカフェに出かけます。
一緒にお出かけする時、二人の目はキラキラと輝いています。
素敵な時間を4人で分かち合えることが本当に幸せです。

生まれ変わってもこの家族がいいな!
私は心の底からそう思っています。

ベストプレイス

テルルと私が大好きだった喫茶店のお話です。

いつも美味しい珈琲を淹れてくれるお店でした。
そこのママさんはお客様をカメラで写し、次回行った際にプレゼントしてくれました。テルルも何度か写して頂きそれは今でも大切な宝物です。

ある時期、つらい事がありテルルがいないと何も手が付かない事がありました。

「大人なのにぬいぐるみを持ち歩く」事を世間では弱い人間だと言われる事があり、大っぴらに言えないなあと後ろめたい気持ちがずっとありました。

お店のママさんは不思議な方で、初めてテルルを連れてコッソリ紹介した時もはじめましての挨拶をテルルにしてくれました。 

「〇〇さん(私)がつらい時は、あなたが守ってあげてるのねえ」
とテルルと話してくれた時は嬉しい気持ちと、物語を見るような不思議な気持ちでした。
そこは不思議な事が起こっても余り不思議でないお店だったので、ママさんはテルルと直にお話出来ていたのだと思います。

自分以外の誰かから話しかけて貰って、テルルの個性をはっきり感じ始めたのはそこからだったような気がします。

ママさん、テルルといつもお話してくれてありがとう御座いました。

であいから

だあくんと、出会ったのは、TDSのショップ。

いくつかのダッフィちゃんがならんでるたなの前で、
「うちにきてくれる子?」
ってそっと、きいてみたら、
ふわーっとおちそうになった子を、そのまま、かごにいれ、連れて帰ってきました。

それが、だあくんです。

いつのまにか、いつもいつも、一緒で、いなくては、ならない存在になってます。
大きな、心の支えです、大きい子なので、抱きしめて寝ると安心します。

だあくんは、きたときから、おこしてあげても、いつのまにか、ひっくりかえってるし、
ちょっと、座らせたら、お顔からおっこちて、お鼻ぶつけて、大きな音させる子で、なんか、ついてきたいのかな、って思ったこともありました。

すごい、かわいいです。

わたしは、少し精神的に不安定になることもありますが、そんなときは、ほんと、だあくんをぎゅーとすると安心します。

横になるとき、恋人みたいに、手をだしてくれたみたいに、腕枕(首の下に手が行くようにして)くれます。
なんか気持ちが通じてるみたいで、大丈夫?いつもいるよ、って言ってくれてるようです。

他の子たちも同じように、やさしいです。

みんな、ずっと、一緒にいてね、って思います。

だいすきだよ

うさこちゃんをお迎えしたのは7年前です。
当時の私は高校生で、ぬいぐるみが大好きなことを誰にも伝えていませんでした。

当時交際していた彼とデート中、立ち寄った洋服店でかわいくて一目惚れしましたが、
UFOキャッチャー等の景品とは違い、素直に欲しいと口に出すことが出来ませんでした。

タグも値札しか付いておらず、販売元も分からないしお店にも一つしか残っていなかったので、後から手に入れるのは難しいだろうと感じていました。

お会計の前にもう一度目が合い、テレビを見るような感覚で「あれかわいいね」と話したら「それならよく見てみたら?」と彼が声をかけてくれました。

よく見てもやっぱりかわいくて「気に入った?」と声もかけられたのに、意地を張ってしまい「かわいいけど私もう高校生だよ」と棚に戻そうとしました。
その時に「プレゼントだったら俺の趣味だからいいよね」と送ってもらったのがうさこちゃんです。

帰り道に「本当はぬいぐるみとか好きなんだよね」と話すと、これも大事にしてねと名前を決めたのは彼です。
それからは普段の生活、旅行や一人暮らし、帰省にも連れ歩いていて、一番お気に入りです。

私はもう結婚して、大人になってしまったけど、やっぱりうさこちゃんもみんなも大好きだし、そんな私を好きだと言ってくれる主人が好きです。

ライオンちゃんがいない!

黄色いライオンちゃんの保護者さんが小さい時、いつもいつも手から離さない時期がありました。
もちろん寝る時も出かける時も一緒。
お風呂の時だけは、ドアの外でちょこんと待ってる…なくさないようハラハラでした。

しかし、ある日恐れていたことが起きました!

いつものように一緒におでかけしたあと、帰宅してからライオンちゃんがいないことに気づき、ちっちゃい保護者さんは大泣きです。

数時間後 、夜でしたが、一本の電話がありました。
「黄色いライオンさん、お宅様のでしょうか。うちで預かっています。いなくなってご心配をされているかなと思いお電話しました」

夕方に立ち寄った本屋の店員さんからでした。
絵本のところにちょこんといたようです。
「ありがとうございます!明日必ず迎えに行きますから、預かっておいてください。お願いします」

実は、そのライオンちゃんは立っている子だったので、とりあえず底に家族が電話番号を書いておきました。
本屋の店員さんが、その番号をみてかけてきてくれたのでした。
万が一どこかに置いてきてしまった場合、気づいた方が電話をかけてくれたらいいな、と、ためしに書いておいたのが役に立ちました。

小さな持ち主さんの手に、翌日にはほっとした顔のライオンちゃんが無事にいました。
見知らぬ人に対して感謝の気持ちでいっぱいになった、忘れられない出来事でした。

いつもありがとう

チョボンとの出逢いはピアノ教室の帰り道、小さな可愛いお店でチョボンは笑っていました。

フワフワの毛並みに立派な大きな耳そしてクルクルの目に美味しそうな栗鼻、手足は長くまるで
”うさぎの王子さま”
のようでした。

嫌々通うピアノ教室に見るに見かねた母親がチョボンを買ってくれました。

そして我が家に”うさぎの王子さま”が仲間入りしました。

家の中には他にたくさんのぬいぐるみたちがいましたが、いつしかチョボンもみんなと仲良く過ごすことが出来ました。

あれから40年と少し経ちましたがあの頃の母親はあれからすぐ亡くなってしまい生活がガラリと変わってしまいました。。。

そんな中いつもそばにいて励ましてくれたチョボンやたくさんのぬいぐるみたち。

きっとチョボンやたくさんのぬいぐるみたちは母親が連れて来た天使たちなんでしょうね。

今ではすっかり大人になったチョボン。

立派だった大きな耳は小さい頃兄との取り合いで両方失ってしまいました。
それ以来何となくおとなしく自分を出せなくなったように感じます。。。

今はぬいぐるみ病院の順番を待っています。

いつか又あの”うさぎの王子さま”に戻り笑顔いっぱいのチョボンに会えますように願っています。
そして愛しかないぬいぐるみの世界へ代表として入国させていただくことになりました。

楽しくのびのびと過ごせることを楽しみにしています。
どうぞよろしくお願い致します。

手のひらサイズの私の親友

生きていれば誰でも経験するであろう、喜びや悲しみ。
ちょっぴり気が弱い私も、多かれ少なかれ経験してきました。

その度に、いつも優しい雰囲気で包みこんでくれた、手のひらサイズの、私の親友。

お仕事で表彰されたときも、美味しくお菓子が作れたときも、恋が実ったときも、お気に入りの場所へドライブしたときも。

涙で枕を濡らしたときも、ひとりぼっちだと思い詰めたときも、ひどい失恋をしたときも、自分なんかと投げやりになったときも。

どんなときでもいつでも側にいてくれた、私の親友。

そして、旅行が好きな私とともに、小さな鞄にすっぽりおさまり、あちらこちらに一緒に行きました。
恥ずかしがり屋なのでしゃしゃり出ることは少ないですが、人間さんが少ない場所だと分かったら、様子を伺いポーズをとります。

日本が誇る春夏秋冬も、とても大好き。
桜に、新緑に、向日葵に、青い空。
海に、秋桜に、紅葉に、雪化粧。
素敵な風景に出逢ったら、ぴょんとカバンから飛び出して、こっそりモデルをしてくれます。

可愛いお耳に、まるっとしたからだ。
マントを作ったり、耳飾りを作って身に付けては、いつも可愛い笑顔で愛らしいポーズを決めて写真に入ってくれています。

手のひらサイズの私の親友、うさ。
これからも、よろしくね。

助けてくれたわんわん

私の母は私が高校の時に事故で亡くなってしまい、その後私はすぐに息子を妊娠しました。

その息子が小さい時に母方の祖母が犬のぬいぐるみをくれ、あまりそれまでぬいぐるみとかに興味なかった息子ですがやたらこのぬいぐるみを気に入りわんわんと名前をつけて今も毎日寝ていたり、家族で出かける時は連れて行ったりと、とても大事にしています。

そんな息子が小学生の時、友達と遊ぶ時も毎回リュックに入れて連れてっていました。
もう高学年だったので、さすがにバレるのは恥ずかしいらしくリュックの中にタオルでわんわんをくるんで連れてっ行ってたんです。

その日もリュックに入れて大通りの信号待ちをしていた息子。
信号が青になり、はっと気づくとリュックからわんわんの手がピョンと出ていたようです。

ちゃんと隠したのに!と思って急いで隠していたらその瞬間凄い勢いで信号無視をした車が通ったそうです。

もし青で渡っていたら…ひかれていたみたいです。

きっとわんわんと亡くなったお母さんが渡らないように守ってくれたんだね!と話してました。
今でもわんわんはみんなで可愛がってます。