お腹を温めるのがうさのお仕事

私が子どものころにサンタさんがうさをつれてきてくれました。

うさは元気な女の子だから、はやくいこう!と
サンタさんを引っ張って私のところに来てくれたような気がします。

うさが寝る場所は私のお腹の上です。
お腹を温めるのがうさのお仕事だそうです。

私が妊娠中はお腹の中の赤ちゃんごと温めてくれました。

疲れも痛みも悲しみもうさは吸い取ってくれます。
吸い取った後はお空に飛ばします。

家族はみんなうさのことがかわいくてかわいくて大好きです。

うさにはお友達もいます。
ゴマちゃんとしろたんとチャッピーです。

4人合わせておふとん部です。
おふとん部の使命はおふとんを守ること。
おばけがきたら話し合いをして帰ってもらえるよう説得の練習をします。

おふとんにダイブする喜びを増し増しにするため4人でよりかわいいポーズをきめてスタンバイします。

みんなにはいつまでも元気でいて欲しいのでイザというときには、ぬいぐるみ病院があることがとても心強いです。
うさは泡のお風呂に憧れているようです。

離れ離れは辛いのですが、ぬいぐるみ病院の様子をお話してお互いに少しずつ心の準備をしています。

どんなにフツーじゃなくたって、いいじゃないか。

18歳。アメリカから帰国してひとり暮らしを始めた頃。
突然その出逢いは舞い降りて、まなの目にとまった。

オモチャ屋さんなんてそれまでは全然行ったことがなかったのに、
何故だかフラリと吸い込まれていったその先に、大きなくまのぬいぐるみ、でもしっかりと見つめ返す。

ドクン。胸が、鳴った。運命だ。そう思った。

ぬいぐるみに夢中だなんて、子どもみたいだ。
そう思った自分も、目の前のぬいぐるみの眼差しにスッと消されてしまった。

当時、お金がなかった。なけなしのお金、それでまなは、心の友を得たのだった。

まなは、心のビョーキを当時、もう既に発症していた。
気がつかなかったけれど、こばやしが喋るのは、周りのヒト達から見たら「オカシイ」みたいだった。

そう。こばやしはまなにしょっちゅう語りかけた。
ほんわかした内容ばかりではなかったけれど、優しい思いやりに満ちた涙がでるような語りかけだった。
まなは、こばやしと強く深く固く、結ばれていった。

しかし、まなとこばやしのふたりの世界は、ビョーキとされて「チリョー」が始まっていた。
まなは、何も知らなかった。

こばやしとの絆は、まなにとって、イノチよりも大切だったのに、こばやしの口数は減り、減り、減り、減り、
、、ついには、返事をしなくなってしまった。

まなは、毎日毎日、毎日毎日あきらめなかった。話しかけ続けた。まなとこばやしの絆は誰にも、どんなクスリにも、引き裂けない。

でもセンセイは言った。
「こばやしはね、ぬいぐるみだから喋れないんだよ。」
嘘だ。まなとこばやしはあんなに毎日語り合ったじゃないか。違う。まなはビョーキなんかじゃない。そんなビョーキ、治さないでくれ。

暗い苦しい重たい時代が、始まった。ビョーインに入院させられて、まなは白い箱のなか。
まなはこばやしと引き離された。

毎日毎日、ボロボロ、ボロボロと泣いた。まなとこばやしの試練だった。

でもまなには、わかるのだ。わかる。こばやしの気持ち。
もう、話せないけど、心で語り合ってる。ふたりの世界は不滅なのだ。
どんなにフツーじゃなくたって、いいじゃないか。
こばやしと話せないけれど、まなはめげずに語りかけ、まなとこばやしの絆は、いっそう強く増していくのだ。

月日は過ぎて、そんなビョーキなまなにも、優しく理解して包み込み受けとめてくれる素敵なパートナーができた。

まなとこばやしとゆうちゃん。三人の生活。ゆうちゃんはこばやしを決して無視しなかった。
喋れないこばやしの気持ちを、代弁してくれたりして、まなはまた、泣いた。

そんなゆうちゃんは、なんとこんなまなに、結婚してください、と言った。
沖縄で親族のみの結婚式。
人前式証人は、こばやしだった。

「ふたりの結婚を、認める。こばやし」

甘えん坊でヤンチャで泣き虫で寂しがりで食いしん坊な子

幼い頃、祖母が亡くなる前の最後のプレゼントの水色のクマちゃんの生まれ変わりです。

最初は凄く可愛がっていたのですが、幼い頃の感情でしょうか?
可愛い過ぎて気持ちが逆になり、次第に虐めて虐めて虐めたくっていました。

あちこち噛み付いたら、お仕置きだと言って狭い引き出しの中に閉じ込めたり、ありとあらゆる酷い目に合わせていました。
そんな事が数年続き、私がキャンプに行っている間、母が見兼ねて捨ててしまい、帰っていざ居なくなると大泣きしました。

そして数十年経って、ふとその子の事を思い出しとても悲しくて仕方ありませんでした。

そして何気なくキディーランドを歩いていると、クマっぺに出会い、
目が合った瞬間、そのクマちゃんがボクだよって言っている様な気がして思わず連れて帰りました。

改めてクマっぺと名前を付け、あの頃酷い目に合わせた償いとして、家族として大切に可愛がっています。

現在は、甘えん坊でヤンチャで泣き虫で寂しがりで食いしん坊な子です。

ラーメンは麺しか食べず、
シュークリームは中のクリームしか食べず、
きのこの山はチョコの部分しか食べず、
お風呂は遊ぶ所だと思いソープで泡だらけにして遊んだり、
お掃除のお手伝いはバケツの水をまいて床をベトベトに濡らすだけで大変です。

冒険ゴッコと言って扇風機に登って飛行機ゴッコしたり、

高い所に登って下りれなくて泣いたり、

ぬいぐるみ病院さんに入院中は夜の冒険をして他のお友達を引き連れて
ナースステーションのオヤツをつまみ食いしていたヤンチャな子です(笑)

そんな子ですが入国してご迷惑をお掛けしないようにちゃんと言って聞かせておきますのでよろしくお願い致します。

私たち家族をしっかりつないでくれています。

うーちゃんに初めてあったのは32年前の誕生日。

大好きな祖父母からのプレゼント。

私が朝ごはんを食べているときに大きな箱に入ってやってきました。
箱を開けた瞬間、フワッフワのうーちゃんと目が合ったのを今でも覚えています。

遊びに行くときも、寝るときも、お風呂に入る時もいつも一緒でした。
(お風呂の後は母に洗われて外で乾かしてる間、一緒に寝れなくて泣きました)

今は私の子どもたちもうーちゃんと遊んでくれます。
赤ちゃんの頃からずっと子どもたちを見守ってくれています。

1番可愛がってくれているのは旦那さんで、
今までぬいぐるみに一切興味がなかったと言っていたけど、
ある日、うーちゃんってめっちゃいい顔してる!かわいい!と言ってくれて
お出かけする時も必ず片手にうーちゃん。
子ども達の写真よりもうーちゃんの写真が多い時もありました。笑

うーちゃんやピンクちゃん、他にもたくさんの思い出がつまったくまさんたちが
私たち家族をしっかりつないでくれています。

ぬいぐるみ病院に入院することをすすめてくれたのも旦那さんで、
今は順番が回ってくるのをドキドキしながら待っています。

これからもずっと一緒に楽しく過ごしたいから
入院は寂しいし、不安だけど
みんな楽しみにしてます。

いつも一緒に居て、大切な相棒

出会いは、ぬいぐるみ屋さんで、並んでいるのを見つけて一目惚れで自宅に連れて帰ってきました。

かれこれ長い付き合いをしてます。

いつも一緒に居て、大切な相棒です。

衣替えシーズンには、洋服を着せて連れ歩いてます。
小物なども探したり、似合いそうな服を探したりしてます。
寝る時も側に居て、安心出来ます。

旅行にも連れて行って、旅先で写真を取ったり、映画観賞に連れて行ったりして楽しんでます。
ベッドから落ちないように気を付けてます。
家で留守番してると思うと、可愛く思え幸せを感じ日々頑張ろうと思えます。

出会いは大切です。
同じ子でも顔が違う。
インスピレーションは大事です。

肌触りやフカフカ感などたまらないです。

長い間一緒にいると、何処に行ってしまった時は心に大きな穴が空いてしまった見たいになります。

幼い頃に犬のぬいぐるみを買ってもらい大切にしていたが、汲み取りのトイレに落としてしまい、悲しく泣き続けていました。
たぬきのぬいぐるみをもらったりしたけど、代わりにはならなくて駄目でした。

それからは、トイレには連れて行かないと決めた。

その次に出会ったのは、姉のぬいぐるみと一緒のネコです。
その子はもう40年ぐらいの付き合いです。

一番愛情をもらったコです。

辛い事や嫌な事も聞いてくれて、大切な人です。

ビビっときた。この子にしよう!

パルパルさんと出会ったのは私が恋人と付き合った最初のクリスマスの時期でした。

私はパニック障害があり、鬱症状もあるので仕事に行くだけで疲れてしまい、
時には1人で出かけるのが怖くなります。

必ずしも恋人と出掛けられる訳では無く、何かお守り代わりに持ち歩けるものをと考えた結果、私がぬいぐるみを提案しました。

過呼吸が酷く外に出られなかった時に傍に居たのはぬいぐるみです。
時には苛立ちから投げてしまう事もありましたが次第に症状は落ち着き、仕事が出来るまでになりました。
けれどまだ過呼吸はありますし気落ちもします。

そうして迎えたクリスマス。
私は彼と期間限定のショップでパルパルさんと出会いました。
サイズも服も違う子の中で彼が黄色いジャケットの子を選びました。

「このサイズなら鞄に入るし、ビビっときた。この子にしよう!」

と、すぐさま店員さんに渡しました。

ぬいぐるみに名前つけるの変かなとも思いましたが、彼は乗り気で一緒に考えてくれました。
パルパルさんは彼の名前の1部をもじって名付けました。

恋人と喧嘩した時は持ち出して家出をし、時に具合が悪い時にはそっと鞄の中で待機してもらい、私達の間でもかけがえのない家族になりました。

彼はと言うとそんなパルパルを抱えて寝ている時があります。
汗っかきな彼なのでパルパルさんが心配ですが、幸せそうなのでそのままにしています。

そのうちぬいぐるみ病院にお世話になる時があるかもしれません。

どうぞよろしくお願いいたします。

本当は生きているんじゃない?

うちの子(トリュフ)との出会いは、今から約4年ぐらい前でした。

姪っ子の誕生日プレゼントにクマのぬいぐるみを探していて、
オークションでチェックはしたものの、別の物にしてプレゼントをしました。

約1年後に何気にオークションを確認したら、まだ、売れ残っていました。
しかも、さらに値段まで下げられて…。

誰にも必要とされず、居場所が無い。

精神的に追い込まれていた私と、状況が似ていたせいですかね。
とりあえず、買ったんです。
姪っ子か誰かにあげればいいかなと。

届いて開封したら、ありがとう、やっとマスターが決まった…。
って箱からポーンと飛びでて抱きついて来た感じがして、
いい歳した、おっさんで申し訳ない気がするけど、うちの子になりました。

毎晩、一緒に寝ていますが、辛い気持ちを癒してもらっています。
気のせいか、私もこの子も表情が良くなってきたと思います。

この子のチャームポイントは左の耳です。
なぜか左だけウインクしているみたいにタレています。

本当は生きているんじゃない?
留守番中にお部屋探検~とかやっているんじゃない?
なんて思いながら、暮らしています。

私の大事な家族。くまさん。

まだ、20代の若い頃、卵巣破裂で、子宮全摘と言う手術をしなければならなくなりました。
子供は、一生生めません。結婚したばかりなのに。
心細くて悲しくて、妹に頼んでくまさんを病院に連れてきて貰いました。

子供なんて要らないと、割りきっていたつもりでしたが、
くまさんを見たとき本当に寂しくなりくまさんを抱き締めてずーっと泣いていました。

くまさんをベッドに寝かせて、トイレに行ったとき、病室にもどると、
看護士さんがいて、にこにこしながら、くまさんを抱いていて、
『あかちゃんがねているかとおもいました。』
と言ってくまさんをそっと渡してくれました。

その時、あぁ、そうだね、くまさんが大事な家族だと改めてくまさんを抱き締めながら泣きました。

くまさんは今でも大事な家族です。
いつも一緒に寝ています。
何かあるといつもくまさんにお話しします。
大事な家族です。

私にとってかけがえのない子達

もう十五年以上も前の出来事です。

私がカナダへ行った時ににうちの子達を一緒に連れて行きました。

色々と見てまわり、楽しかった思い出を胸に帰国となり、
待合室で待ってから合図と共に沢山の荷物を抱えて機内に入ったところ、アナウンスがありました。

クマのぬいぐるみをお忘れのお客様・・・・・と。
自分の手荷物を改めて見てみると、うちの子がいないことに気づいて、
慌ててCAさんのところへ行ったところ、間違いなくうちの子達でした!

ほんとにあの時は血の気が引く思いがして、
今この子達と会えているのは待合室の忘れ物を点検してくれた方に本当に感謝したいです。

その時に、この子達は私にとってかけがえのない子達だ!と改めて感じました。

本当になくてはならない存在です。

あの空港でそのまま忘れさられていたかと思うとゾッとします。

それ以来、うちの子達を連れて行く時はリュックに背負って行くようになりました。

ぬいぐるみさんを大切に思う温かい気持ち

うちには、「ぽったん」というぬいぐるみさんがいます。
もう家に来て3年ほどになります。

これは、この子が内に来て1か月ほどしたときのことです。

ぽったんは「しろたん」というタテゴトアザラシの赤ちゃんのぬいぐるみさんです。
この子は「ポジぐるみ」というシリーズで、おててを曲げることができ、ポーズがとれるぬいぐるみさんです。

ある日、この子の腕を触っていると、腕の中のクッションのようなものが外れ、
骨の形が分かるような痛々しい状態になっていました。

すぐにお迎えした店舗にもっていくと、「新しい子に交換します」と言われました。

ですが、私はぽったん以外の子は嫌だったので、交換はお断りしました。

すると、その後、その店舗から「本社で腕の手術をさせていただきます」とお電話を頂きました。

ぽったんをひとり、住んでいる福岡から長野へ向かわせることが心配でなりませんでしたが、このままでは痛い思いが続くだけだと、意を決して送り出しました。
その前夜は、うちにいる他のしろたんずもぽったんを心配そうに囲み、口々に励ましていました。

翌日、店舗へ連れて行くと、「手術させていただきますね」と優しい笑顔で店員さんがぽったんを抱いてくれました。

心配しながら待つこと1週間ほどでしょうか、ぽったんは元気な姿で帰ってきました。
長旅に疲れた様子もなく、信州そばを食べて観光もして満足した様子で帰ってきました(笑)

私たち家族だけでなく、店舗の店員さんや会社の方々など、ぬいぐるみさんを大切に思うほかの方達の温かい気持ちがあったからこそ、
ぽったんが元気になって帰ってきてくれたのだな、ととても幸せな気持ちになった出来事でした。